ビデオゲームとイリンクスのほとり

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【レビュー】No Man's Sky(ノーマンズスカイ)~あらゆるスピードを超えた先にあるもの~

「ゲームらしさ」とは一体何なのだろうか。ゲームをするというのは、何かを競い合ったり、課題に頭をひねったり、世界を救ったりすることだけではないはずだ。ただ単にプレイをする。ただコントローラーを操作させるだけでもいいじゃないか。

ノーマンズスカイは、「ゲームらしさ」という足枷に囚われることなく、堂々と自身をゲームとして成立させた意欲的な傑作である。

 

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なぜオープンワールドには乗り物が登場するのか

ノーマンズスカイにも(いわゆる)ゲームらしさはある。宇宙海賊と戦ったり、謎のドローンと銃撃戦をしたり、物資の売買で手持ちの資金を増やしたり、探索したアイテムを合成して装備を充実させたり。これらは既存のゲームの枠組みで理解できる楽しさだ。しかし、こういうゲームらしさはむしろ前菜に過ぎない。メインディッシュは、1800京という途方もない数の惑星が存在する、この広大な空間自体にある。

 

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↑2m近い大きな歩行ロボットとの戦闘も用意されている。しかしこれもデザートにすぎない

 

ノーマンズスカイの世界は広大なオープンワールドである。それはこれまでのゲームの歴史上、最も広い3次元空間を持ち、探索しつくすことが不可能な広がりを誇る。そんな極端に肥大したオープンワールドは、オープンワールドにまつわるある一つの疑問に回答を与える。「なぜオープンワールドゲームでは乗り物に乗るのだろう?」

オープンワールドでは、単に移動するのに面倒だから自動車や馬に乗ったりするのでない。そうではなくて、オープンワールドという仕組み自体が乗り物を要請するのである。それはオープンワールドが「異なる速度の系」を要請しているということではないかと、筆者は考える。

別のゲームで考えよう。スーパーマリオブラザーズのような横スクロールアクションでは、時折、強制スクロール面が存在する。そうした面では通常とは異なる速度でゲームが進む(たいていは通常面より速くなる)。こうした速度感の違いがゲームプレイのバリエーションを豊かにし、プレイヤーに普段とは違った楽しみ方を与える。たとえ同じようなステージ構成でも、強制スクロールの場合とそうでない場合とでは、プレイの印象は大きく変わるだろう。

しかし、オープンワールドゲームでは、そうした異なる速度のステージを簡単に導入することはできない。なぜなら世界はたった1つのステージとして存在しており、全くスピード感の異なる別のステージを単純に導入することができないからだ。

そこで、オープンワールドには乗り物が登場するのである。その乗り物は移動を簡便にしてくれるだけの道具ではない。それは同じ1つのステージ(世界)でありながら、異なる速度系へとスムーズに移行させる1つのシステムとして採用されるのである。

そして、ノーマンズスカイは「速度の異なる複数の系の導入」を何重にも推し進めたゲームなのだ。

ノーマンズスカイにおいて、基本的にどの宇宙船であっても、性能は変わらない。遅い宇宙船や速い宇宙船があるわけではない。しかし、その宇宙船の速度は操作によって大きく変わる。その変化は、単純に量的な変化だけではない。むしろ、質的な違いをプレイヤーに感じさせる。

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↑質的な体験の違いとしての超スピード

 

まず最初、惑星上で立っている時、主人公は徒歩で移動する。多少のダッシュはできるが、決して速くはない。しかし、ひとたび宇宙船に乗ると、先ほど徒歩で何分も掛かった距離がものの数秒で移動できる。宇宙船のエンジンは秒速130m程度のスピードで飛行する*1。そして、惑星の大気圏を突破すると途端に速度は数倍にまではね上がり、4~500m/sのスピードで飛ぶようになる。更に完全に宇宙空間に飛び出し、重力圏から外れると、またその数倍の1,500m/sぐらいにまでスピードが上がる。通常のエンジンでのスピードアップはそこまでだが、その後は、パルスエンジンという特殊なエンジンを始動させる。すると、10,000m/s超のスピードに一気に加速することができる。これは惑星間を数分で移動できるスピードだ。しかしそこで速度変化の流れは終わらない。更にワープ航法のシステムを開発することで、50光年というこれまでとは比べものにならない単位の距離を1分足らずで跳躍できるようになる。しかもその更に上のスピードまで用意されており、その方法だと、80,000光年に近い距離を一気に飛んでいくことが可能になる。

 

この5段階、6段階に用意された「速度の異なる複数の系」には、単にそれを行き来するだけで得られる快感がある。それはオープンワールドで初めて車に乗って長距離を移動した時の快感と同様のものであるが、ノーマンズスカイはその跳躍する快感を何段階にも重ね多層的に用意しているのだ。

 

もう一つの象徴的な速度『ゼロ』

しかし、ノーマンズスカイにもうひとつ、重要な速度がある。本作の魅力の根底には、このもうひとつの速度の世界があると筆者は考える。

ノーマンズスカイを開発したHello Gamesのショーン・マーレイ氏は次のようなことを言っている。「わたしがノーマンズスカイで最も気に入っているもの。それは宇宙ステーションの窓だ」と。この発言を受けて海外ゲームサイト「Kill Screen」のギャレス・ダミアン・マーチン(Gareth Damian Martin)はその理由について次のように書いている。

「これほど広大で無人の空虚さの中で、(宇宙ステーションの窓という)フレームには、制限や抑制や特定の方向性がある。このフレームによるシンプルな気持ちよさをプレイヤーは再確認できるからだ。」

なるほど、これはひとつの解釈である。気が遠くなるほどの自由を与えるノーマンズスカイ。しかし人は自由すぎると、逆に疲れてしまう。そんな時に、宇宙ステーションの窓ほど、人を安心させるものはない。それはしっかりと固定され、たった一つの方向の景色しか見ること事ができない。その制限にこそ人は安らぎを感じるのだと。

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↑宇宙ステーションの窓。その静けさには妙な安心感がある。

 

しかし、この宇宙ステーションの窓がもたらす安心感というのは、先ほどの「速度の異なる複数の系」という観点から考えることで、更にもうひとつの解釈をすることができる。それはつまり「速度ゼロ」というもうひとつの系がある、ということである。

 

僕らが仕事でもゲームでも、なんらかの活動をする時には、必ずある一定の速度を持っている。ノーマンズスカイでも同じである。採掘をする時、採掘した資源を売り払うため宇宙ステーションに向かう時、欲しい資源を採掘するために洞窟の中を探検に行く時。全てに速度がある。そして、普段、その速度は常に速くなる方向に進むことを「良し」としている。しかし、ノーマンズスカイは、時にその速度を減速させる*2。あまつさえ、0(ゼロ)にしようとする。自動生成で生み出される奇妙な動物たち。見るものを圧倒する壮大な地形。気色の悪いグロテスクな植物群。こうした風景により、プレイヤーは仕事をしていたはずの手を止めて、その風景に見入ってしまう。

ノーマンズスカイの風景は決して、新奇性によって人を惹きつけているわけではない。ある種の「懐かしいSF的風景」をノーマンズスカイは表現する。

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↑1970年代、SF小説の挿絵を描くJohn Harrisの世界観は本作に近い

 

それは、単に初めて見る風景ではない。どこかで見たことがあるような景色でありながら、どこにもなかったはずの風景である。そんなものを何の前置きもなく、フッと目の前に提示してくる。その時、人は減速し、思わず立ち止まってしまうのだ。ノーマンズスカイは旅である。しかし決して綿密に計画された観光旅行ではない。事前に、これを観に行こう、あれを観に行こうと思って見るのではなく、何の前触れもなく、見つめてしまう風景が突然そこにあることに気がつく。

 

自動生成による個々の風景に何か特別の意味があるわけではない。たまたまそう作られたに過ぎない。その偶然性にノスタルジーの風味をまぶす。すると、不思議なことに、人はそれを見て、懐かしさや味わいや深みを勝手に見出してしまう。そして、人は作業の手を止めるのだ。その瞬間、人はあらゆるスピードを越えた想像力の旅に出る。誰かが事細かに意匠を施して作っているわけではない風景。しかし、その無意味さこそに、人は崇高さを見てとる。ノーマンズスカイの絵には、それだけの力がある。速度ゼロの世界から想像力の旅が始まる。

ゲームとして、自由で単調なノーマンズスカイにはルーチーンワーク的な息苦しさがある。しかし、ノーマンズスカイ自らが、そんなルーチーンワークの手を止める風景を与え、そんな息苦しさから、いっとき、プレイヤーを解放するのだ。

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↑崩れかけた遺跡と巨大な惑星。思わず手を止めて見入ってしまう。

 

加速と減速の連環

「速度の異なる複数の系」というノーマンズスカイの仕掛けの中で、プレイヤーはついつい異なる速度の系を行ったり来たりしてしまう。これはプレイヤーにプレイを続けさせてしまう魅力を持っているということでもある。本作は普段遊ぶゲームと同じ尺度から考えれば、極めて単調であるかもしれない。しかし、この加速と減速の絶妙な連環により人を魅了する。それは単に速さを増していくことだけに意識が向いているのではない。速度を失うことにも価値付けがされているのだ。ゲームとして、ノーマンズスカイは見事なシステムを持っていると筆者が思うところである。

 

幸か不幸か、ノーマンズスカイに選ばれてしまったプレイヤーは思わずこう呟くのだ。「なんで俺はこんな単調なゲームを何時間も遊んでしまうのだ」と。そんな選ばれしプレイヤーにこそ、是非一度、宇宙ステーションの窓の前で立ち止まって欲しい。そこには何の変化もない、あまりにも静謐な景色が広がっている。ひとつかふたつの惑星が浮かび、無数の星たちが瞬く。その無意味さと、無音の宇宙ステーション。隣にはタブレットをいじる生意気な機械生命体の異星人が、全くこちらに興味を示すことなく椅子に座っている。そこに特別の意味はない。ただ、プレイヤーはスピードゼロからスピード無限大の狭間を行きつ戻りつする快感に何度も身を委ねるのだ。

 

救うべき世界はそこにはない。宇宙ステーションの窓から見える景色の、切なくなるほどの孤独感は、ノーマンズスカイが与える多層的なスピード体験の極北として、佇むようにしてそこにある。あらゆるスピードを超えるゼロに到達し、再び無限に加速していくために。

 

*1:実際に、ゲーム内ではメートルの単位は出てこない。速度はks、距離はuという単位で表現される。ここでは数字をイメージしやすいようにメートルに変えているが、決して正確に変換させたものではないので、ご了承いただきたい

*2:本文ではあまり言及できなかったが、大気圏突入から地表に近づくときに掛かる制動の減速もまた大変に快感である