ビデオゲームとイリンクスのほとり

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『ナイト・イン・ザ・ウッズ』をクリアした。

『ナイト・イン・ザ・ウッズ(Night in the Woods)』をクリアした。素晴らしい作品だった。アメリカ文学に対する教養が全くないので想像するだけだが、色々な文芸作品からの影響を感じる。下記記事のフラナリー・オコナーも全然読んだ事がないので、ぜひ機会あれば読みたい。
 
『ナイト・イン・ザ・ウッズ』とフラナリー・オコナーの関係について - 名馬であれば馬のうち


自らの生き方に思い悩む主人公や人生の残酷さに向き合い続ける友人達の葛藤が、日常的な言葉で巧みに語られる。どの言葉も箴言のような重みや仰々しさがあるわけではない。絞り出すような数々の素朴な言葉は「人生を選択してきたのはお前だろ」という世の圧力への怨嗟を、適切な量感で表現する。中には表現がレトリカルすぎると感じるものもないではないが、いやいやそれでも実直に胸に迫ってくる言葉が多い。

 

本作は信仰や神様についても語られるし、テーマとして大きいのかもしれないが、キリスト教などに馴染みがなく、うまくその手のメッセージを僕には摑み取れなかったかもしれない。しかし、神様とメイたちとの距離感は、神とはほとんど無縁に生きてきた僕と神との距離感にむしろ近いのかもしれない。(それでも多くの点で違いはありそうだが)


本作においては「偶然」が重要な概念だと感じた。主人公にとって「偶然」だけがリアルであり、でもその「偶然」だけでは満足できない彼らの悩みは決して若者だけの悩みではない。いい大人たちもまた閉塞感のある田舎町で燻り、結果として「偶然」にグロテスクな神様を見出してしまう。


人生の責任を背負っているからこそ、大人たちは人生に意味を見出さざるをえない。そんな大人たちよりも、偶然の無意味さや無関心さに耐える主人公たちの方が、人生に真面目なのかもしれないと思える時がある。一見すると無気力で軽薄で不真面目に見えるメイやグレッグの方が、悪を悪として判断できるのであり、それは逆説的な無責任さゆえの真面目さとも思える。