ビデオゲームとイリンクスのほとり

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『ドラクエ11』になぜ我々はガツンとやられてしまったのか?

※本記事はドラクエ11の結末を含め様々なネタバレを含みます。

ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』は名作である。これはプレイ開始当初には考えもしなかった評価である。しかしクリア後そのように評価せざるを得ないという気持ちになった。おそらくドラクエ11には両極端の評価が混在している。そのことについて少し考えてみたい。

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■欠点の多いドラクエ11

ドラクエ11には多くの欠点がある。その欠点はあまりにあからさまで堂々としている。『Witcher 3』や『Fallout 4』と言った世界の大作RPGをプレイしたことがある者にとっては驚くほど稚拙に感じられる部分が多い。

特に気になるのはマップやエリアデザインの部分だろう。端から端までそれほど時間が掛からず行き来ができるほど1つのエリアは狭く、その癖、隣のエリアや街に移動するには十数秒のローディングが挟まる。仮にそれぞれのエリアごとに凝ったギミックや様々な進行ルートが仕込まれているのであれば、こうした仕様を理解もできるが、ドラクエ11の各エリアはとてもシンプルで探索の自由度も低い。30年前の初代ドラクエ1をプレイするとそのワールドマップの移動の自由さに逆に驚くほどである。ドラクエ11は30年前というFC時代に回帰するでもなく、PS2ぐらいの10数年前という中途半端な時代に先祖返りしているように見える。それゆえ余計に陳腐に見えてしまう。

この他にも文句をつけようと思えばいくらでもつけることができる。見えない壁が数多く存在し、小さな段差が登り降りできない場面の多さに呆れた人は多いだろう。また、伝統芸だと分かっていてもカットシーンに吹替えがないことはとても不自然だった。シナリオの展開は序盤は特に眠くなるほど退屈であり、旅の途中で仲間になるキャラクターたちの魅力もあまり伝わってこない。戦闘においても、なぜ主人公がフィールド上で攻撃を先に加えているのに敵方の先制攻撃としてターンが始まる場合があるのだろう。と文句をつけ始めたらキリがない。

しかし世間でのドラクエ11の評価は高い。こうした世間での高評価と自分の感じ方の乖離に戸惑う人がいたことは十分想像できる。ドラクエ11は最近のコンソールやPCゲームを多くやっている人ほど困惑する出来のゲームだった。

しかし、最後までプレイした今となっては、筆者にとって「ドラクエ11はまごうことなき傑作」である。真に驚くべきは、こうした無数の欠点を全て「許せる」と思わせてしまう腕力なのである。ネットでは「物理で殴る」というスラングがあるが、ドラクエ11ほど物理で殴ってきたゲームはない。小賢しいコアゲーマーを正に腕力で殴り倒すゲームであり、素直に私はノックアウトされてしまった。

ドラクエ11とノスタルジー

ではドラクエ11がプレイヤーをKOさせた武器とは一体なんなのだろうか。それは一言で「ノスタルジー」ということになるのだと思う。ドラゴンクエスト30周年*1というタイミングで、徹底的にノスタルジーにこだわり、それを利用しつくした作品がドラクエ11である。そしてこれが可能なゲームシリーズというのは意外にあまりないようにも思うのだ。マリオやソニックなど長く続く人気タイトルはあるものの、ノスタルジーをこれだけ堂々と活用した作品はそうはない。

では、ドラクエ11が凄いのは単に懐かしさを感じさせる要素が多いからなのだろうか。そうではないだろう。ドラクエ11が凄いのは、そのノスタルジーを感じさせるための構造をそのままドラクエ11の物語の骨格としたところにある。そのことをドラクエ11の物語の流れから見ていこう。ドラクエ11のストーリーを「勇者」というテーマを中心に捉え、その骨格だけを取り出すと以下の通りとなる。

  • -----ゲーム開始(フェーズ1)---------
  • ①かつて伝説の勇者ローシュが存在した。それは語られるだけの古き存在である。
  • ②その生まれ変わりである主人公がいる。彼はいきなり序盤で勇者であることを否定される。
  • ③本編は主にその勇者の肩書きを取り戻すための旅である。
  • ④旅の果てに勇者のつるぎを手にしたところで、主人公はそれを魔王に奪われ、再び勇者であることを失う。
  • ------世界崩壊(フェーズ2)---------
  • ⑤そこから再度、勇者であることを取り戻す旅が始まる。
  • ⑥最終的に魔王を倒し、名実共に勇者となる。
  • ------クリア後の時渡り(フェーズ3)---------
  • ⑦主人公はあらゆる者を救うため、過去へと戻る。そして邪神を倒し、三度、勇者であることを取り戻す。
  • ⑧最後、その真なる勇者のチカラを伝説の賢者セニカへと渡す。そして間接的にローシュに真に勇者であることを取り戻させる。真エンドクリアとなる。


本作は大きく3つのフェーズに分けられる。それは上記の通り「世界崩壊」と「クリア後の時渡り」で分けられる。

フェーズ2が始まる際、④で世界が闇に包まれ主人公は海底王国からある浜辺へと舞い戻ってくる。その時プレイヤーはおそらくこう思うのだ。「ああ、ここ!この浜辺に戻って来たのか。懐かしいな!」と。

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↑懐かしのデルカコスタ地方。

 

そうしたささやかな「懐かしい」をクリア後は更に何度も味合うことになる。フェーズ3の⑦以降、各地で再び多くのNPCや景色や音楽と出会う。同じ世界を何度も旅をさせる。ドラクエ11はたった一つの作品の中で何度も「戻ってきた」や「取り戻す」を繰り返す。そして、それはドラクエシリーズの歴史とも通じる。何度も何度も世界を救ってきたことの模倣となる。では、こうした「戻ってきた」や「取り戻す」がどのようにノスタルジーと関わるのか、その点を以前放送されたあるテレビ番組での議論を元に考えてみよう。

■なぜ人は懐かしがるのか

Eテレでかつて『哲子の部屋』という番組があった。2015年5月28日の回で「人はなぜやたらと懐かしがるの?」というテーマが扱われ、そこでとても面白い場面があった。ゲストの批評家・石岡良治氏が「夕日が沈むいくつかの映像」を見せる。それらの映像を見ると、人は問答無用に懐かしいと思ってしまう。同番組に出演しているマキタスポーツ氏及び清水富美加氏もそう感じた。しかし実はその夕日の映像、日本ではなく異国の情景であり、しかも完全にCGで作られた夕日の映像まで含まれていた。つまり、リアルでは1回も見たことがないばかりか、この世には存在しない情景に懐かしさを覚えていたのである。しかし、それでも懐かしく思ってしまう。その番組では次のような言葉が語られていた。

『人は何かを懐かしむのではなく ただ懐かしがりたい』

懐かしむのにその「対象(何か)」は必要ないというのだ。しかしではなぜ人はそんなにも懐かしむのか。それを哲学者ジャンケレヴィッチの言葉を引用して「時間とは"逆行できないもの"としてしか考えられない」からとする。二度と取り戻すことができない過去だからこそ、人は懐かしむのだと。沈む夕日に象徴されるように時間の変化を直接目にした時に人は「取り戻せない過去」を見て取る。「夕日」それ自体が懐かしいのではない。夕日によって「時間の取り戻せなさ」が喚起されることで人は懐かしむのだ。

ここでドラクエ11の物語を振り返ると、副題の「過ぎ去りし時を求めて」とあるように、本作は「取り戻せない過去」を求める物語である。いや、「過去」だけではない、「勇者であること」や「破壊された故郷」なども取り戻そうとする。

 

しかし、本稿で主張したいのは、ドラクエ11は本当に取り戻せている物語なのか?ということである。むしろ逆なのではないか。④以降の世界や⑦以降の世界は、それまでの世界と同じようでいながら、一変している。それは「過ぎ去りし時」をまざまざと見せつけてくる。④以降の世界の変化はわかりやすいだろう。しかし⑦以降の世界も大きく変わっているのだ。見た目としては時渡り後の⑦以降の世界は④以前の世界と似ている。しかし、ウルノーガを再度倒した後の世界は大きく1回目のクリア時点とは変わってしまう。重要なのは決してかつての世界は取り戻せないというということである。その最たるものがベロニカである。(取り戻したいかどうかは別にして)ベロニカのいない世界はもう取り戻せない。ベロニカを失った悲しみの時は、真エンドを迎えた後には「過ぎ去りし時」になってしまうのだ。本作はタイムトラベルの物語であるのだが、意外にも『シュタインズゲート』や『オールユーニードイズキル』や『ビューティフルドリーマー』にあったような「ウンザリするような同じことの繰り返しとそこからの脱出」というモチーフが登場しない。「タイムトラベル物」ではあるが「ループ物」とは違うのだ。「ループ物」がはらむ過去改変の悩みや悲しみは影を潜め、ずっとドライに過去を置き去りにして次に進んでいるように見える。それは「似ているが異なる物語」を連続して味わうという体験であり、まさにドラクエシリーズを何作かクリアするような体験に似ているのである。

■取り戻せないものの象徴 ローシュ伝説

そして考えたいのは本作におけるローシュという存在である。ドラクエ3をやったことがあるプレイヤーはローシュたちを「懐かしさを感じさせる存在」と捉えるだろう。

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しかし重要なのはそうした30、40代の世代が懐かしいと思うことではない。筆者は、ドラクエの初期3部作をプレイしていない人が本作をプレイしてもドラクエ11はノスタルジーを感じさせると考える。それは、ローシュ伝説が「取り戻せない」という体験を巧みに感じさせるからだ。

物語の最後、裏エンドで、主人公は「ローシュ伝説」に僅かに介入をして、勇者ローシュにトゥルーエンドとも言える結末を取り戻させる。しかしここでプレイヤーは逆説的に二重に「取り戻しができない」ことを感じ取るのである。その1つは、その伝説のトゥルーエンドが実際はどのような結末になったのか主人公自身が(そしてプレイヤーも)具体的には味わうことができないということ。そして、もう1つ。それはプレイヤー自身の過去、即ち現実世界での「勇者だったあの頃」を思い起こさせはするものの、その過去を取り戻せないと感じさせるということだ。あの裏エンドのスタッフロールがその気持ちを否応なく強める。

ローシュそのものが懐かしいのではない。人はただ懐かしがりたいのである。ローシュはその象徴的な存在として「懐かしさ」を喚起する装置なのである。*2 大人になりファンタジーの世界を旅する者は、過去にどこかでファンタジー世界に虜になった過去を持っている。なぜなら、ファンタジーが「所詮ファンタジーでしかない」と理解するからこそ、「『あの頃』はもっと純粋にファンタジーを楽しめていたような気がする」と「あの頃」を創造してしまうからだ。そんな「あの頃」をローシュ伝説は喚起する。しかし、ドラクエ11は、プレイヤーをローシュとして体験させたりはしない。それはもう「取り戻せない過去」なのだ。

■なぜドラクエ11は中途半端に古臭いのか

なぜドラクエ11はこれほどまでに「中途半端な古臭さを持つ作品」であるのかを改めて考えよう。本作はFC、SFC、PS、PS2、DS、Wiiまでのあらゆるドラクエのキメラとして存在している。むしろ最新の『Witcher 3』や『Fallout 4』や『マスエフェクト』のように全く新奇な存在として存在してはならない。30年間の多様なシリーズ体験者、そのあらゆる人々にとってぼんやりと懐かしいはずの存在であるためには、見た目的にもシステム的にもPS2世代までの要素をつぎはぎした存在、そして決して過去のドラクエそのものでもない存在になる必要がある。そして、「ドラクエシリーズを過去何作もクリアしてきた」かのような近似体験を、3回のフェーズに分けたキメラ的ドラクエ11が模倣的に追体験させる。繰り返すが、それは本物の過去のドラクエシリーズの体験ではない。過去そのものを取り戻させないからこそドラクエ11は「ただ懐かしい」へとつながるのである。そこにローシュという存在が最後のダメ押しで挿入される。ローシュはかつて勇者だったころの象徴的な自分である。ドラクエ11の主人公がドラクエ3の主人公と似ても似つかないサラサラヘアーの線の細い主人公であることによって、プレイヤー自身は最初に疑似的に勇者であることを奪われる。しかし、その勇者らしからぬ主人公によってかつての自分(ローシュ)はようやく勇者たりえるのである。その上で畳みかけるように裏エンドのスタッフロールでプレイヤーは気が付いてしまうのだ「もうあの頃の勇者である自分ではない」のだと、どれだけゲーム内で勇者であることを取り戻しても、リアルとしての自分が勇者になることはないということを。ゲームの中の本物の勇者はサラサラヘアーのイケメン青年なのだ。明に言わなくてもプレイヤーは気が付いてしまう。「取り戻せない」のだと。「取り戻せない」からこそドラクエ11は徹底的に「ただ懐かしく」させる作品なのである。

ドラクエ11は過ぎ去りし時を求める物語であると同時に、過ぎ去りし時を取り戻そうとしても取り戻せないことに否応なく気付かせる体験である。そこでは、常に何かを置き去りにして、しかし少し後ろ髪を引かれながら前に進むしかないという、時間がもたらす切なさを見つめる物語でもあるのだ。ドラクエ11の主人公は正に「時間」を象徴した存在である。彼はどんな時も振り返らない。前に黙々と進み続けるのだ。勇者という存在が「過去への振り返り」と「前に進む」という矛盾をまとめ上げたところに、取り戻せないものの圧倒的な美しさが映える。ここにドラクエ11の秀逸さがあるのではないだろうか。(了)

 

 

 

*1:実際は31年目。2016年が30周年だった

*2:想像を逞しくすれば、ドラクエ9が懐かしくないのは、特に30代以上にとって、それが思い出補正を受けるほど過去でも、取り戻せない過去でもない「つい最近のこと」だからと筆者は考える。とは言え、8年前のゲームである。仮に当時ドラクエ9を10歳でクリアした子がドラクエ11を18歳でクリアするケースを考えれば、裏エンドのスタッフロールでドラクエ9を懐かしいと感じることもあるだろう。