ビデオゲームとイリンクスのほとり

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傑作『HAVEN(ヘイブン)』が描いた愛は何が特別だったのか?

イチャラブRPGとして話題になった『HAVEN』。2人の主人公のあまりのイチャイチャぶりに精神的なダメージを喰らった人も多いと思う。とにかく最初から最後までこのカップルはイチャイチャし続ける。しかしこのどうしようもなくバカっぽい物語はとても素晴らしいものだったと、クリアした今、強く感じている。本作を『Spiritfarer』という、少し話題になったインディー作品と比べながら振り返ってみたい。

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HAVEN(ヘイブン)

死をどのように迎えるかの物語『Spiritfarer』

まずは比較対象である『Spiritfarer』を簡単に紹介する。

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この作品はアクションや成長要素というシステムが多少はあるものの、全編通してひたすら素材を集めて、キャラクターたちと会話をして、特定の場所にお使いをする、ということが主となるアドベンチャーゲームだ(建築やクラフトやスキルというような要素はある)。

物語のテーマとしては「死」を扱っている。主人公はスピリットフェアラーとなって、死を迎えた人が悔いを残さないように、生前やり残したことを消化させて「成仏」させる。肉体的な死から精神的な死を受け入れるまでの特定期間のサポーターがスピリットフェアラーの役目だ。非常に印象的で対称性の強いビジュアルと優しい音楽によって、静謐だが厳かな死の受け入れの儀式が美しく描かれている。プレイ後の感覚として「何かありがたいものを見たな」という気持ちにさせてくれる作品だ。

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崇高で美しい見送りのシーン。『Spiritfarer』

クリアまでのゲームプレイの感覚としては序盤でゲームの大半の魅力が出切ってしまうため、後半の盛り上がりが薄く退屈な印象が強かった。

物語として見た時にも、とても優しさに満ちて素敵な面はいっぱいあるものの、個人的に「今ひとつな作品だったな」という感想を持った。その時はうまくそれが言葉にできなかったのだが、『HAVEN』をプレイすることで『Spiritfarer』の何が不満だったのかがよく分かったような気がした。

 

欲望に忠実な『HAVEN』

『HAVEN』についても簡単に紹介をしよう。この作品はある惑星に駆け落ちをしてきた男女2人のサバイバルを描いたRPGだ。日本の古いタイプのコマンド型RPGの雰囲気を多分に残しながら、リアルタイムで進行するバトルが特徴でもある。キャラクタービジュアルから伝わるように、非常に日本のアニメ的表現であるが、フランスの"The Game Bakers"という開発スタジオによる作品だ。これより前には『Furi』というアクションゲームを製作している。これはPS+でフリープレイになったことがあるので、プレイした人も多いかもしれない。

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ボス戦のみで構成されたストイックなACT『Furi』

未開の惑星「ソース」の大地を「フロー」と呼ばれる技術を使って軽快に飛び回るプレイフィールはシンプルながら楽しい。中盤から探索や展開に単調さを感じてくるが、そこを補おうとアイテムや物語によってプレイヤーを惹きつける要素を比較的丁寧に用意しているとも感じる。ただ人によっては中盤以降、かなり退屈に感じるかもしれない。

物語としては、母星で自由な恋愛が禁止されており、その星から駆け落ちをしてきた2人の恋愛模様が描かれる。「マッチメイカー」と呼ばれる母星でのパートナー選定&強制システムがSF的と言えばそうだろう。この作品はこうしたSF的設定が随所に配置されながらも、脚本の大半が「2人のイチャイチャ」に費やされているところが大きな特徴である。とにかくずっと仲良し夫婦漫才をやっている。そして隙あらばハグして、キスして、セックスしようとする。

 

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野外でも家でもすぐイチャイチャしだす二人

また、本作は男女2人の主人公のうち、どちらか一方だけを操作するのではなく、操作対象が頻繁に入れ替わる。プレイヤーは男のケイでも、女のユウでもどちらでもあり、またどちらでもない。そして何より、本作の恋愛劇が特徴的なのは「相手に求めること」をひたすら描き続けている点だ。ユウもケイもどちらも相手に何かを求め続けている。この「求めること」を描き続けるためには、両方のキャラを操作させる必要があったと考える。

例えばこれが「求めること」ではなく「与えること」が主として描かれる場合を想像してみよう。途端に普通のゲームの物語になってしまうと感じないだろうか。というのも、多くのゲームで主人公は与える者であり、ギブ&テイクのギブをするのが、多くのゲームの主人公(操作キャラ)の役割だからだ。テイクは主人公にとって単なる報酬でしかないか、テイクする主体は魔物に困る村人か魔王に囚われた姫か依頼主である王様である。テイクする行為自体は、ゲームになりにくい。どちらか一方だけを操作させる場合、それは一方に「与える者」の役割を強調することになってしまう。しかし『HAVEN』の操作キャラを固定しないやり方は、「与える者」の強調を避けることにつながっている。

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バトルにおいても攻撃と守りの役割は頻繁に交代する

一方で、『Spiritfarer』の主人公は逆に常にギブし続けるキャラクターだった。死を穏やかに迎えるために、ひたすら材料を集め続けて、見送り続ける。ギブだけをし続けて、結局は何を得たのか若干分かりづらいという点とギブすることに集約された表現は愛や死や生を表現するにはやや単調であったように感じた。優しさ一色で、主人公の屈託がとても見えづらかったという印象がある。与え続ける愛の形はもちろん尊いのだが、ゲームの尺の長さに耐えるだけの説得力を持てなかったところに『Spiritfarer』という作品への私の不満がある。 

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どこか死の切実さを感じにくいSpiritfarerのテキスト

その点、『HAVEN』は欲望に忠実である。とにかく得ること(テイク)だけを求め続ける。一方だけが与える役割ではなく、あくまで自分たちの生存のため、そして終始テイクのための行為を2人で行う。

例えば、2人の逃避行カップルを描くゲームであれば、一方が未知の惑星で謎の病原菌に冒されてしまい、一方がそれを治癒するためのアイテムを探しに行くというクエストを用意してしまいそうである。けれど『HAVEN』では、そうしたクエストはほぼ存在しない。もし仮にそういうクエストがあった場合「与える者」を操作して、クエストをこなすことになるだろう。しかし、ゲームでやりがちなそういう「一方的に与える行為」が、『HAVEN』ではほとんど描かれないのだ。逆に「求めること(イチャイチャすること)」をひたすらカットシーンで見せ続ける。このように「求める(テイク)」が前面に押し出され、「与える(ギブ)」ということが後景に退いているのが、『HAVEN』というゲームの大きな特徴であると考える。

 

『HAVEN』の何が生々しいのか?

愛を表現するのに、「無償の愛」のように自己犠牲的に与えるものとして表現することは多い。もちろんこれが「愛は求めること(テイク)から出発するけど、本当の愛はむしろ与えること(ギブ)だよね」というある種のカウンター表現である側面もあるだろう。しかしギブによる愛の表現は既にかなり飽和しており、特にゲームにおいて「与える行為」がゲームになりやすいため、従来のゲームでは愛を描く時に「与える(ギブ)」行為に光を当て続けてきてしまったのではないだろうか*1。『HAVEN』はその点においてゲームとして一風変わった愛の形を描いているように思える。

 

ゲームの後半でケイとユウは大きな喧嘩をする。家出をしたユウをケイは探しに行き、地殻変動により互いに離れ離れになってしまう。そこで2人はあまりにあっけなく仲直りをする。離れたことで心細くなり「私のことまだ愛してる?」と尋ねるユウに、ケイは「いや、これまで以上に愛してる」と答える。はたから見ていると「もう知らんわ」というバカップルぶりであるが、これこそ恋愛の「どうでもよさ」というか「しょうもなさ」が見事に集約されている。

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喧嘩後の仲直りのシーン。本当に犬も食わない。

よくドラマなどで喧嘩をしたカップルが、相手のために何か買ってあげて仲直りするという場面があるが、ああしたエピソードを見ると、既に何か買い物に行くという時点で仲直りしてるんじゃないの?と思う。何かを買い与える(ギブ)という合理的なメリットによって仲直りするのではなく、身も蓋もない言い方をすれば互いが互いを求める(テイク)からこそ全く脈絡なく仲直りするし、不合理に許しもするのだ。もっとあけすけに言えば、イチャイチャしたいから仲直りするのである。ギブの前に仲直りがある。ただ、欲しがる愛(テイク)は動物的で深みはなく、与える愛(ギブ)の方が人間的で深みがあるような気がしてしまう。しかし欲しがる愛(テイク)の底の浅さこそが恋愛というものの核ではないのか?という『HAVEN』の表現にはある種の説得力があるように思える*2

 

ラスト(グッドエンディング)では、この物語で唯一の一方的な与える行為(ギブ)が描かれる。この自己犠牲が死ぬほどではないが、しかし自らの身体をフリークス的にするという結末になっている点は開発側でも非常に考慮を重ねた結果でないかと想像する。社会正義や大義や秩序や平和のためではなく、ただ好きな人を守るという、そのテイクの「小ささ」をちょうど超えていく「ほどよい大きさ」のギブ。ここにも「大きな物語」にならないことを徹底しつつも、等身大でリアルな愛を描く『HAVEN』という作品の特質が現れている。

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ラストのドラマのささやかさも『HAVEN』らしさだろう

そう考えると、2人のイチャイチャぶりを表現することに何か意味があったのか?と問われれば、その無意味さや下らなさにこそ意味があったのだと言える。あまりにも下らなくて映画やTVドラマだったら採用しない取るに足らない小さいエピソードは、インディー作品でも10時間ぐらいかけて描くRPGという尺のある表現形式だからこそ多く盛り込むことができたのかもしれない。そして、その小ささや無意味さや下らなさを大量に描いたからこそ、その愛の形はあまりに生々しく、しかし無視できない説得力を生み出したのではないだろうか。

 

この2人は、エンディングの後、末永く関係をうまく維持できたのだろうか。それは多くのプレイヤーがそこはかとなく想像する部分だろうが、また一方で「別にこの先、上手くいったかどうかは関係ないかな?」とも正直思える。それは恋愛というものの一つの側面を『HAVEN』は徹底して描いたからであり、その徹底ぶりゆえの満腹感が、「末永く幸せ」のような価値観を抑制させるのかもしれない。もし仮にギブを中心に据えていたら、それに見合う見返りをプレイヤーはクリア後にも求めてしまうかもしれない。しかしただ現状の2人の愛の形をそのままに受け入れ、未来を気にしない気持ちにさせてくれるのは、テイクを中心に描いた底の浅さを恐れない『HAVEN』だからこそ到達できた一つの境地でもあるだろう。

 

*1:Wiiパンドラの塔』は、ゲームとしては、その「愛=与える」の方向性の1つの極点かもしれない

*2:本作のストーリーにかこつけて言えば、テイクは、自由恋愛を禁止する母星の制度への、弱々しいけれど、結局は究極的な反抗の根拠になり得そうである。ギブは社会に還元できそうだが、テイクはあくまで自己中心的であり、だからこそ社会制度への揺るがない反抗心の源になりそうだ。