ビデオゲームとイリンクスのほとり

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『リターナル』における”836”の謎とストーリー考察の限界について

2021年4月に発売された『リターナル(Returnal)』。PS5専用ソフトであるため、そこまで本数が出ているわけではないだろうが、概ね高評価を獲得している新規IPタイトルだ。30時間ほどでクリアしたが、とても面白いタイトルだった。私はこれまでローグライクと呼ばれるゲームが苦手だった。堪え性がなく、慎重なプレイが中々できないのだ。しかし不思議と「いつかローグライクにハマってみたい」という倒錯した願望だけはあった。シレントルネコFTLもガンジョンもデッドセルズも、どれをプレイしてもハマることが出来ず、歯痒い思いを抱いてきた。しかし、本作だけは例外的に楽しく、そしてローグライクが苦手な私でもクリアできる程よい難しさだった。ただ、本作は、ローグライク好きよりも死にゲー好きにとって相性の良い作品ではないかと思う。

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本稿では、作品のゲームシステムではなく、ストーリーについて主に語っていきたいと思う。個人的には複雑なストーリーを解体する分析や考察などはあまり書いたことがなく、そんな自分がこのような記事を書くのは、ためらいがあった。しかし、本作の謎の一つである"836"という数字について「こういう解釈はあるのでは?」と思いつき、それであれば逆に「ストーリーを頑張って考察しなくても良くなるのではないか?」と連想が進んだ。本稿では、この考え方を作品中に頻出する数字である"836"という数字から説明したいと思う。

 

悲劇の数が過剰である

まずは、本作の終盤のストーリーまでで、概ね多くの人が合意しているであろう部分について列挙したい。

  • 主人公のセレーネは死のループに囚われている
  • セレーネは母親との間に何かしらの確執がある
  • セレーネには子供がおり、その子との間にもトラウマの原因となる問題を抱えている
  • 自動車事故が起こっており、それはトラウマの大きな原因であるようだ
  • 死のループの原因は、トラウマにありそう
  • 白い影は宇宙飛行士のスーツを着た人影
  • "836"という数字がやたらと色々な場面に登場し、強調されている
  • セレーネは誰か(子供、母親)を置き去りにしてきたことを後悔している
  • 事故の原因となった宇宙飛行士はセレーネ自身だった(→ループ構造)

さて、これら以外にも様々な重要なポイントがある。以下に列挙するのは明確な証拠や繋がりは判然としないものの、なんとなく多くの人が気に掛かったり、思っていることである。

  • 惑星アトロポスの体験は、セレーネの妄想なのかもしれない
  • セレーネは宇宙飛行士の夢を持っていたが、その夢が叶わなかったのではないか
  • セレーネは育児において、ネグレクトした、もしくはされた経験がある
  • ぬいぐるみのオクトがクトゥルフっぽく不気味
  • 車椅子や地下室はなんらかのトラウマと関係ありそう
  • セレーネには堕胎の経験がある

さて、これらの事実を並べていくと、1つ気が付くことがある。それはトラウマになるような悲劇の数が多すぎないか?ということである。ループの謎がトラウマにあることはほぼ明白であると思うが、その原因となる数が多いというのは、実はかなり物語の構造として不思議である。なぜなら、プレイヤーとしては納得感が減ってしまうからだ。普通に考えれば、「ああ、これがトラウマの究極の原因なのね」とプレイヤーに思わせた方が物語としてはスッキリしているし、そのためには究極の原因は「1つ」の方が明らかにいいだろう。しかし、ネグレクト、自動車事故、宇宙飛行士の夢、母親との関係、子供の死など、どれもこれも全体として1つにつながらない断片的な事実が大量にある。これは明らかに「物語として損をしている」とも考えられる。事実、クリアしたプレイヤーからも「クリアしたのにモヤモヤする」との声が多くあがっている。
そして、多くの考察を重ねていっても、そこから浮かび上がる事実は、非常に証拠や根拠において心もとないのだ。そのことを次の2点を例として示したい。

 

オッドアイは人物確定の根拠になるか

1点目は、セレーネの身体的な大きな特徴であるオッドアイ虹彩異色症)についてである。彼女は瞳の色が左右で違う。下記サイトは非常に興味深い『リターナル』の考察サイトであるが、ここで自動車を運転している女性はオッドアイではないから、運転している女性はセレーナでなく母親のテイアではないか?という考察が述べられる。とても面白い考察だと思う。

hide.ac

しかし、シップログの「セレーネ・バッサスの個人ファイル(深緑の遺跡版)」には、『光彩異色症(トラウマが起因)』*1という文言がある。

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本当にトラウマで光彩異色症(オッドアイ)が起きるのか医者ではない私には判断がつかないが、ゲーム内テキストにあえて書かれている以上、そのような解釈が可能になるだろう。仮に自動車事故がそのトラウマだと考えると、事故前の状況であるなら、運転手がセレーネであり、かつオッドアイでなくても不思議はないという解釈も可能になってしまう(トラウマ前なのだから)。しかし、だからと言って運転手がテイアだという可能性がなくなるわけではない*2。「トラウマが起因」の文言は、運転手=テイア説を完全に摘んでしまうような証拠ではない。重要なのは、可能性が発散する点である。個人的には「トラウマが起因」というテキストは、まさにそういう議論や混乱が起こることを期待した製作者による「撒き餌」なのではないかと考えている。


堕胎は本当にあったのか

2点目は、セレーネの堕胎についてである。これはスカウトログ60(AST-AL-060)で述べられる。記憶があいまいだが、最終ステージである深淵にいく直前で解放されたログであり、発見した多くのプレイヤーが「え!そういうことなの?」と驚いたのではないかと思う。しかし、実はこの堕胎説、英語圏ではほぼ言及されていない。「abortion(堕胎) returnal」で検索しても全くそうした議論が引っかからないのである(→訂正*3*4)そこでスカウトログ(AST-AL-060)の英語テキストを確認してみたが、それを次の画像に示す。

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最後の部分だけ抜き出してみよう。

Everyone is overbearing and controlling and… I haven’t even told a single person about- If they fount out I was here, that we were talking…

これを直訳風に訳すとこうなるだろう。

みんなは高圧的で支配的だし…  このことは誰一人として話してはいません。もしわたしがここにいることや私たちが話してることを聞いたとしたら…

ではゲーム内の日本語テキストではどうなっているだろうか。
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比較のため、最後の部分だけ引用しよう。

きっとみんなアレコレ言ってくるだろうし このことはずっと秘密にしてる だから堕ろそうとしてることがバレたら……

比べると良くわかるが、英語(原文)では明確に「堕ろした」とは言っていない。英語圏で「堕胎説」があまり観測できないのは、これが要因ではないかと考えている。では、日本語ローカライズが原文を無視して勝手な創作をしているのだろうか。その可能性もないわけではないが、私としてはそう即断はできないと考えている。こうした大作ソフトの翻訳では、おそらく原文となるスカウトログ60のテキストだけではなく、補足資料としてのサブテキストが提供されるというのはよく聞く話だ。であるならば、そうした補足資料では、話している相手の医者は産婦人科医である等の情報が日本語翻訳者やローカライズ作業者には与えられており、それを加味した上で訳されているかもしれない。確かに「術後に運転できるか?」とか「知られたくない」というのは、かなり中絶手術を想起させる。しかし確定はできない。

ここで私が言いたいのは、堕胎の有る無しではない。繰り返しになるが、『リターナル』が提示する事実の不安定さである。情報をあいまいにすることで、情報量を増加させることは、むしろ製作者の意図なのではないだろうか。こうした情報が過剰で、全体として完全に理解できない物語として『リターナル』は意図的に制作されていると私は考える。


"836"が示すものとは何か?

さて、そのような過剰で不完全な物語をどのように解釈したらいいのだろうか。それを解くカギが"836"という数字である。この数字は脈絡なくさまざまな場面で登場する。

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一部のまとめサイト等では、"836"という数字がエンジェルナンバーだという説が取り上げられている。エンジェルナンバーとは以下のページによれば数秘術の要素である。人ごとに相性の良い番号であったり、繰り返し日常で目にする番号をエンジェルナンバーと言ったりするようだ。 simple.wikipedia.org

確かに"836"をエンジェルナンバーだと言っているサイトはいくつか検索されるが、その多くは「"836"をエンジェルナンバーとして解釈した場合にこうだ」と語っているものが多い。だからあらゆる番号に対して解説が書かれている。以下のサイトはその一例である。

real-step-up.seesaa.net

つまり、こうしたサイトは別に"836"だけを特別な数としているのではない。

 

逆に"836"をエンジェルナンバーとしていないサイトもある。以下のサイトはその例である。("エンジェルナンバー"と日本語で検索してトップに表示されるサイトの多くで、"836"はエンジェルナンバーではない)

angel-number.fun

また、アメリカのIGNが提供しているWiki Guide(ストーリー解説)でも、エンジェルナンバーとは言われていないが、「"836"が幸運を示す数字だと数秘術師(Numerologist)の間で言われている」との説が言及されている。

www.ign.com

つまり堕胎の話とは異なり、数秘術の話は日本語圏で言われているだけではなく、英語圏でも語られている。しかし、数秘術(Numerology)というのは、占星術などの占いのようなものである。つまり、そのまま鵜呑みにするにはかなり不確かで主観的な解釈の幅が大きい。もちろん厳密に数秘術を紐解けば、"836"の秘密が確固たるものとして見えてくるかもしれないが、本稿ではその立場を取らない。というのも、"836"という数字は、自動車事故や子供の孤独な体験など、不安や絶望といったネガティブな場面で頻出する数字だからである。エンジェルナンバーや幸運というポジティブさとは単純に整合しない。逆にだからこそ希望の数字なのだという解釈も可能かもしれないが、状況証拠的には少し無理があると考える。

 

では、どのように考えるのか*5私は"836"が「不思議数」である、ということに意味があると考える。不思議数(weird number)とは何か?それは、数学で用いられる用語である。不思議数とは、過剰数でありながら、(疑似)完全数((semi)perfect number)ではない数字を指す。では、過剰数とは何で、完全数とは何か、一つ一つ簡単に説明していこう。(以下の部分は数学の話なのでスキップいただいても本稿の主旨は理解できる。ただ数学と言っても中学生レベルである。)

過剰数(abundant number)というのは、その数字の全ての約数を足し合わせたときに、元の数字を超える数字である。例えば、「8」という数字であれば、約数は「1,2,4」である。その全てを足し合わせても「7」にしかならない。つまり、元の数字の「8」を超えないので、「8」は過剰数ではない。一方で、「20」は過剰数である(1+2+4+5+10=22で20を超える)。また、完全数については知っている人も多いだろう。約数をすべて足すと元の数字になる数字で、「6」が有名である(1+2+3=6)。疑似完全数とは、すべての約数ではなく、その一部を足した時に元の数字になるものである。で、ポイントはほとんどの過剰数は(疑似)完全数だという点である。例えば先に例として出した「20」は過剰数であり、かつ疑似完全数である。しかし、ある特定の数字だけが、過剰数でありながら(疑似)完全数にならない。それが不思議数と呼ばれる。

1から1000までの整数で、不思議数なのは、たった2つである。その数少ない不思議数の1つが"836"である。(ちなみにもう一つの不思議数は"70"である)

長々と説明してしまったが、私の主張したいことはこうした数学的な話ではなく、その「過剰数」「完全数」「不思議数」という名前である。"836"は、リターナルという物語自体を示している。不思議数の定義が過剰数でありながら、完全数ではないという定義のアナロジーから、「『リターナル』は、(情報が)過剰でありながら、完全でない不思議な物語である」ということを示していると考える。

 

例えば、多くの人がヘリオスをセレーネの子供の名前と解釈しているが*6カットシーンで現れる子供は明らかに少女である。ヘリオスは普通、男性の名前と考えるので、セレーネには別の息子がいたのではないかと考えたくなる。情報は曖昧にされたことでかえって増殖してしまっている。あれだけ重要な登場人物であろう子供の名前が判然としないのも、少女がセレーネ自身なのか、セレーネの子供なのか、はたまた妄想の産物なのかをあえて曖昧にし、情報が過剰になるように意図しているのではないだろうか。そしてこうすることで、物語の内容をめぐる解釈も過剰となり、完全に理解することが妨げられる。

 

更にもう一点、「不思議数」という名前についてである。不思議数というのは英語で"weird number"と呼ばれる。"weird"というのは、「奇妙な、説明しがたい、この世のものでない」を意味する英単語だ。そして、古英語では「運命」を意味する。「この世のものでない」というところだけでも、既に『リターナル』っぽさがあるわけだが、「運命」は更に本作と関係が深い。例えば、"weird sisters"というと、普通はシェイクスピアの『マクベス』に登場する3人の魔女が想起されるが、この魔女はギリシャ神話の運命の三女神と共通点を持ち、そこからイメージされたキャラクターだとされている。(以下は英辞書サイトによる"weird"の説明。最後にある"Origin(語源)"のところを是非見てみてほしい)

www.lexico.com

ギリシャ神話の運命の三女神(the Fates)と言えば、まさにクローソーラキシスアトロポスである。"weird number"を採用しているのは、惑星アトロポス(=運命の女神)の物語であることとのシャレなのではないだろうか。もはや強引な解釈と思うだろうか。そうかもしれない。しかし、複数の事実を整合的に並べていくと、どこかの時点で既存の事実と矛盾する。その矛盾を是正すると、またどこか別の事実と矛盾する。そうした事実の訂正を繰り返す作業は、まさしく『リターナル』のループ構造と同じである。そこで、わたしとしては「本作のストーリーは、過剰であるが不完全な物語であり、それは"836"という不思議数が象徴している」と考えることで、このループを終わらせたい。

 

ちなみに更に言うと、"836"というのは、不思議数の中でも、不可触数*7という性質を持つ最小の数字である("70"は不可触数ではない)。不可触、すなわちアンタッチャブルな数字でもあるのだ。これはセレーネの過去のトラウマが触ることができないことを意味しているのだろうか。さて、ここまで来るともはや妄想と推論の境目はよく分からなくなりそうだが、まさしくこういう妄想的な解釈の遊びこそが『リターナル』のセレーネの精神世界と相似形をなしていると言えるだろう。(終)

 

*1:ゲーム内では"光彩"と書かれているが、"虹彩"の誤りではないかという気はする

*2:もちろんニュース映像のナレーションでは「運転手のテイアさん」と言っている。しかしこのニュースは2つのニュース(事故と月面着陸)がごちゃ混ぜになっており、何が本当に正しいのかは判然としないという反論も可能かもしれない。またエンディングでは湖(川?)に落ちた車の車外に飛び出ることができたのは大人の運転手の方であり、手を差し伸ばしたものの子供の方は救えなかったというシーンに見えなくもない。運転手のテイアは助かって、子供のセレーネは沈んでしまったと考えると変になるようにも思える。加えて、運転手がテイアで、謎の深海の怪物に出会ったのもテイアなのだとすると、なぜそれがセレーネのトラウマになるのか、チグハグにも感じられる。『リターナル』は実にこういうチグハグさが多い。

*3:補記:2021.05.14 「全く引っかからない」は言い過ぎだった。Redditで中絶について言及している人はいる。しかしあまりその方向で議論は発展はしておらず、むしろ「術後に運転できるか?」の質問の方が(堕胎よりも)注目されるくらいである。堕胎を当たり前の前提として英語圏ではあまり議論はされていないと思われる(私の観測した範囲では)。「術後に運転できるか?」の方が注目されるのは、その方が自動車事故に連想が繋がりやすく、考察しがいがあるからだと思われる。

*4:補記:2021.06.08  その後のredditでの議論を見ていると、かなり堕胎を肯定する議論が出ており、また多くの人の支持を得ているようである。日本語訳の言う通り、堕胎はかなり「正解」だったかもしれない。参考→Returnal’s story “explained” : Returnal

*5:補記2021.06.03 なお、この"836"を普通に解釈するなら「自動車事故の発生した時刻が8:36で、これにより"836"という数字が特別になったのだ」という解釈になるだろう。つまりエンディングで"836"の謎はちゃんと解決提示されているのだ、という解釈である。まあ、もちろん、そうなんだけどね、でもそれだと寂しくない?というのを前提とした考察が本稿である。

*6:留守電のセレーネが子供のことをヘリオスと呼んでいるように捉えられる場面はある

*7:不可触数についても、簡単に説明する。不可触数は、「他の数字の約数の集合の和によって表現できない数字」である。何を言っているのか?という感じだろうが、例えば「4」は不可触数ではない。1+3と表せるからだ。1と3は「9」という他の数字の約数の集合である。しかし「5」は不可触数である。「5」を整数の和として表すのには3種類しかない(本当は他にもあるが説明を簡単にする為省く)。2+3、1+2+2、1+4の3つである。2+3の場合、約数として必ず含まれる必要のある1が含まれていない(=2と3のセットは何か別の数字の約数の集合にならない)。また1+2+2の場合、約数の集合は同じ数字が2つないため、1,2,2のセットは何か別の数字の約数の集合にならない。では、1と4を約数の集合とする数はあるだろうか。存在しない。「8」なら約数として2を含んでしまうし、「4」の場合、それ自身を約数として含まない。そんなわけで「5」は「他の数字の約数の集合の和によって表現できない数字」であり、不可触数である。私自身がちゃんと計算して確認したわけではないが、「836」も不可触数のようである。参考→836 (number) - Wikipedia