2026年3月。『紅の砂漠』というゲームが発売された。リリース当初の評価はあまり良いものではなかったが、信じられないスピードでアップデートを重ねることでゲーム内容が改善され、急激にその評価が上がった。現時点では高評価が大半を占めるようになっている*1。また、ゲームそれ自体の持つ良ポテンシャルが長時間のプレイによって段々と明らかになっているようで、いわゆる「噛めば噛むほど味が出るスルメゲー」という評価もされている*2。

私自身、本稿の執筆時点で50時間ほどプレイしてみたが本当に楽しい。まだまだプレイを続けたいと思わせるゲームだ。少し前に遊んだ『ゴーストオブヨーテイ』というオープンワールドゲームが30時間ほどで飽きてきてしまいプレイが停滞していることを思うと非常に対照的でもある。度重なるアップデートによる改善が、最近の『紅の砂漠』の高評価をもたらしたことは疑いようがないのだが、多くのゲーマー、特にこの手のオープンワールドゲームをこれまで数多くプレイしてきた人には、独特の驚きが『紅の砂漠』にはあるのではないだろうか。
それが「なんでこんなに従来のオープンワールドゲームで見たことがあるような要素が詰め合わされているだけなのに、『紅の砂漠』はこんなに新鮮に楽しめてしまうのか?」という驚きであり、疑問だろう。そう、この『紅の砂漠』は不思議とどの要素もこれまでに他のオープンワールドで体験したものと似ており*3、しかもその「似ている」という印象を覆すような全く新鮮な要素というのは逆にあまり見当たらない。いわゆる中世ファンタジー風オープンワールドゲームとして、極めてオーソドックスな作りに見えるのだ。
本稿では、この疑問に対して、結論から言うと、ある種の「不出来さ」が関与していると主張したい。つまり当初批判された数多くの『紅の砂漠』の持つゲームとしての欠点こそが、このゲームを新鮮に感じさせる独特の要素として働いていると考えている。しかし、その欠点は単に「変わったモノ」「もの珍しいモノ」として働いているのではなく、プレイヤーが感じる新鮮さを生み出す要素としてやや不可欠な機能を持っていると考えている。また、当たり前の話だが、全ての「不出来さ」が良い効果をもたらしているわけでもない。やや乱暴で思い込みで書いている部分も多いが、以下、説明したいと思う。
なぜUBIのゲームは「どれも同じ」と言われるのか?
『紅の砂漠』の話に入る前に、多くの名作オープンワールドゲームを開発しているUbisoftというメーカーのゲームについて、少し説明したい。Ubisoftの有名なオープンワールドゲームというと、1番は『アサシンクリード』シリーズだろう。暗殺者を操作して広大マップを冒険するゲームだが、その売り上げは4年前の2022年の時点で、シリーズ累計2億本とも言われる*4。
それ以外にもUbisoftが開発したオープンワールドゲームには『ファークライ』シリーズ*5や『ウォッチドッグス』シリーズ*6などいくつか存在する。どれも世界で1千万本以上は売れているシリーズだ。
しかしここ数年、Ubisoftのオープンワールドゲームは「どのUbisoftゲームも同じだ」というような批判をされることが多かった。実際、以下のようなゲームメディアでの記事がある。こうした記事が出るくらいには広くゲーマーにはUbisoftのゲームはどれも似ていると思われている。
組み合わせ方がうまく噛み合えば、『アサシン クリード オデッセイ』のようなヒット作が生まれる。その一方で、同じことを繰り返すとマンネリ化を招く場合もある。たとえばUbisoftタイトルでは、「タワーを登ってマップ表示域やファストトラベル地点をアンロックする」要素が含まれるケースが続いた。
Ubisoft “どのシリーズも似ている”現象解消のためチーム再編。差別化を図る新体制下には、一度退社した『スプリンターセル』主要メンバーの名も - AUTOMATON
この記事にある通り、同じようなメカニクスによってマンネリ感を感じさせ、それによって「どのUbisoftのゲームも同じだ」という印象を与えることは不思議ではない。
しかし、ことはそんなに単純ではない。先の記事にある「タワーを登ってマップ表示域やファストトラベル地点をアンロックする」要素というのは、2018年の『ファークライ5』という作品では、大きく変更されている。これは従来のファークライ シリーズとの明確な差別化であり、またアサシンクリードシリーズのビューポイント(高所)に登るという仕組みとの差異化とも言える。しかし、この『ファークライ5』の変更によって、Ubisoftのゲームは同じだという印象は果たして変わったのだろうか?一度刻みついた印象は簡単に変わらないとはいえ、先の記事は2020年である。『ファークライ5』の2018年の発売から1年以上経ってもまだ、「UBIのゲームはどれも同じ」という印象は継続している。だからこそ、この記事のタイトル のように「Ubisoft “どのシリーズも似ている”現象解消のため」と書かれてしまう。記事の1年以上前に発売された『ファークライ5』で既にその問題が解消されていると多くのプレイヤーが感じていれば、そうは書かないだろう。実際に『ファークライ5』をプレイした私自身の感想としても同じである。『ファークライ5』のあまりにも変わり映えしない印象によって、「もう次回作は買わなくていいな」と思ってしまった。『ファークライ3』(2012)以降継続して買っていたファークライ シリーズだったが、2021年の『ファークライ6』は購入しなかった。ここで言いたいのは『ファークライ5』が新鮮味のないゲームだったという批判ではない。重要なのは、「何かを変えてもそれによって本当に変わった」とは簡単に判断されないし、それはどういう心の仕組みなのか?ということだ。
【仮説】ギミックと内部構造の二段階による理解
私たちプレイヤーが「どのUbisoftのゲームも同じだ」と語る時、それは、ギミックと内部構造の二段階での理解を前提としているのではないか。これは私の仮説だが、もう少し詳しく説明しよう。
例えば、先の「タワーを登ることでファストトラベル地点として解放する」という仕組みを例に取る。この仕組みの中の「タワーを登る」の部分を「基地を制圧する」に表面的に(ギミックとしては)変更したとしても、内部のより本質的な構造は変わらないと判断されることがある。これが私の「構造理解の二段階仮説」だ。その内部の構造というのは、例えば「ある特定のエリアごとに配置されるファストラベルポイントを順次解放していって、徐々に世界の様子が明らかになっていく仕組み」とでも言えるかもしれない。しかし内部構造が何で、ギミックが何かというその詳細や定義の中身をここで議論したいわけでは無い。むしろここで考えたいのは、マンネリと言われるのは、仮に表面的に変更されたとしても、その内側の構造が似たようなモノだと判断されれば、「同じだ」と判断されてしまうということであり、そういう判断の仕組みそれ自体である。
このことは、『ファークライ5』が発売される前から、ある意味では当然の話でもある。というのも、アサシンクリードもファークライもウォッチドッグスも、シリーズごとに舞台設定は大きく異なっている。アサシンクリードは歴史的な舞台(十字軍時代の中東やルネサンス期のイタリアや産業革命時代のイギリスなど)をテーマとしたゲームであるし、ファークライは時代は現代だが未開の島や国を舞台としたゲームだし、ウォッチドッグスは現代のハッカーたちがネットワークやコンピュータの知識を総動員して大都市で活躍するゲームだ。登場する人も状況も大きく異なる。当然だが、それぞれには異なる固有でオリジナルなメカニクスも備えている。「Ubisoftのゲームはどれも同じ」などとそんなに簡単に言えるわけではない。何よりアサシンクリード という一つのシリーズに限ったとしても、作品ごとに全く異なる仕組みが取り入れられ、多くの挑戦がなされている。『アサシンクリード3』(2012)、『アサシンクリード4』(2013)ではこれまでなかった船を使った移動や海戦のような仕組みが生まれたり、『アサシンクリード シンジケート』(2015)では機関車という常に移動する乗り物が主人公の拠点になるというこれまで見られなかった要素を備えている。つまり『ファークライ 5』に限らず、これまでもUbisoftはずっと新規要素を取り入れて挑戦してきたにも関わらず、10年以上、「UBIゲームは変わり映えがしない」と言われ続けているのだ。これはつまり実態としての作品の中身の変更とは別に、あくまでプレイヤーの中で「何かが変わらない」と思われていることを示唆している。
私の「構造理解の二段階仮説」というのは、このプレイヤーの理解を整理するための説だ。プレイヤーはある種の要素を表面的で本質的ではない要素として捉える。これを仮に「ギミック」と呼びたい。そしてその内部にある本質的だと思われる要素を「内部構造」と呼ぼう。重要なのは何がギミックで何が内部構造かを最終的に決めるのは作品の持つメカニクスや仕様ではないということだ(ここが私の主張の眼目でもある)。そうではなく、プレイヤーがある意味で勝手に何かをギミックだと思い、何かを内部構造だと思う。この二段階の区分けは作品の中にあるのではなく、プレイヤーの中にある。この仮説を取ることで解明したいのは「なぜUBIのゲームはどれも同じだと言われるのか?」と言う疑問ではない。正直いえば、それは分からないし、私自身の興味からは外れる。私が気になっている謎は、本稿のタイトルにある通り「なぜ従来のオープンワールドゲームと似ているのに、『紅の砂漠』はこんなに新鮮に楽しめてしまうのか?」ということだ。この「構造理解の二段階仮説」はそれを説明するのに都合の良い仮説ではないかと思っている。
『紅の砂漠』はどのように内部構造を隠蔽しているのか?
前節で説明した「構造理解の二段階仮説」を使うと、『紅の砂漠』の新鮮さは次のように言える。
「表面的なギミックは同じであっても、内部構造が違っているように思えれば、そのゲームは従来のゲームとは違って新鮮に感じる」ということだ。つまりUbisoftのゲームを捉える時とは逆に考える。この説明によって、『紅の砂漠』というゲームが従来のゲームと似ているはずなのに、なぜ新鮮に楽しまれているかを理解しやすくなるのではないかと考える。
だからと言って、私は『紅の砂漠』という作品について「内部構造が従来のオープンワールドゲームとは違う」から新鮮に楽しまれているとは思っていない。ここには少しだけトリックがある。それは「内部構造が実際に変わっているかどうかとは関係なく、内部構造が単に隠されているというだけでも、内部構造が同じだという認識は遅延され、新鮮味が生まれる」というトリックだ。私は『紅の砂漠』の魅力は、ギミックから想像される内部構造が焦点を結ばず、長い時間ハッキリとした像(内部構造)を見せないがゆえに、楽しませるものだと思っている。そしてUbisoftのゲームに新鮮味が薄いのは、その変更されたギミックによっても、従来と似た内部構造が短時間で見透かされているからだと考えている。
では、『紅の砂漠』はどのように内部構造を隠蔽しているのだろうか?それが『紅の砂漠』の持つある種の「不出来さ」だろうと考える。例えば『紅の砂漠』には様々なパズルが古代遺跡の宝物を守るものとして存在している。しかしその謎解きは妙に難しい。しかし難しいというよりも単に「説明不足」なのだ。どういうルールで何をすれば良いのかが分からない。取っ掛かりの最初の部分が全く説明されないために難しい。ひとたび理解できればやること自体は他のゲームにもあるようなパズルの難易度とそれほど変わらない。こうした「説明不足」によって、『紅の砂漠』には底の知れない神秘性が備わる。いかにも解かれることを前提としたパズルではなく、またそのガイドも親切に用意されているわけではなく、このゲームを理解するための入り口の時点から従来のゲームとは違うという気持ちにさせる。そういう感覚が内部構造を秘密の暗闇に居続けさせるのだ。
そしてこの「説明不足」というのはいわゆるパズルだけではない。他のオープンワールドゲームであれば、最初に絶対にチュートリアルとしてファストトラベルの説明がある。広いエリアを移動させるオープンワールドゲームでは重要な要素だからだ。しかし『紅の砂漠』では、そのファストトラベルをどのようにしたら発見できるのか、また見つけたとしてどのようにファストトラベルポイントとして解放できるのかほとんど説明されない。しばらくプレイしたサイドクエスト(アルフォンソ家のサイドクエスト)でようやくチュートリアルに近いことが説明されるが、なぜこんなに説明をしないのか、よく分からない。
こうした「説明不足」というのは単に上手くルールを隠蔽しているというわけではない。逆に意図的な隠蔽が明確に設計されているのであれば、おそらくその内部構造もまた理解しやすいものにはなるだろう。しかし「不出来さ」からは普通は意図を読み取ることは難しい。出来の悪いものを意図的に作る人はいないからだ。だからこそ、かえって内部構造は深遠な秘密のように感じられる。そこには辿るべき開発者の意図という道標がないように思えるからだ。(実際に開発者の意図がないかどうかは誤解を恐れずに言えば、関係ない。プレイヤーがそう感じられることが重要だ)
その他にも『紅の砂漠』には、中世ヨーロッパ風の世界設定でありながら、スチームパンクに出てくるようなロボットなどが登場したり、東洋の拳法にある掌底のような技がいきなり序盤に解放されたりする。こうしたある意味で「不統一」で「乱雑」でカオスな世界設定はこのゲームが一体どこに向かうのかを不安にさせつつ(こんなカオスで収束するのかと不安させつつ)、しかし逆にゲームを続けさせるモチベーションとなっているのではないか。それは従来のゲームを多くプレイしていて、ゲームの文法を分かっていると思う人ほど、ハマる罠なのかもしれない。これまでの文法では理解できない新世界のゲームとして、『紅の砂漠』は見えるところがある。そして、一方でUbisoftのゲームはよく出来ていて品質が安定しているからこそ、その内部構造を含めて見通しが良すぎるのかも知れない。
こうした一見すると「意味不明」とも「説明不足」とも取れるような「不出来さ」こそが、『紅の砂漠』という作品の内奥の秘密を隠蔽することに大きな貢献をしていると私は考える。基本的に「不出来さ」とは不条理である。そうあるべきものがそうではないがゆえによく分からないというかなりアクロバティックな手法によって『紅の砂漠』はその秘密を維持している。各種要素を冷静に抽象化していけば、『紅の砂漠』もおそらく既存のゲームでよくある要素に分類整理して、果てはその全体像(内部構造)もまた明らかにすることは(プレイヤーにとっても)可能になるだろう。しかし、プレイすればするほど、ほとんど場当たり的とも言える要素が頻繁に提出され、私たちゲーマーは、その内部構造を予測し難い秘密として捉え、かなりの長時間、内部構造に対する認識を遅延させられ続ける。それこそが本作の大きな魅力となっているのではないだろうか。
おそらく『紅の砂漠』の持つ課題は次回作以降に明確に露わとなるだろう。なぜなら本作をクリアしてある程度の内部構造が理解されてしまった後では、その魅力的な秘密はもはや新しいギミックを追加することによって再び秘密としての魅力を回復することは難しいと想像されるからだ。それは決して『紅の砂漠』の話だけではない。かつて多くのゲーマーを熱中させたアサシンクリードやファークライというシリーズがどれだけ手を変え品を変え、様々な新規要素を盛り込んでも「Ubisoftのゲームはどれも同じだ」という批判に晒されたことと同じ事態が繰り返されているだけだとも言える。
不条理という劇薬を今後どう扱うのか。全く根拠のない期待ではあるが、『紅の砂漠』を作ったパールアビスという会社には、その不条理を再び乗りこなしてくれるのではないかという期待を、私は不思議と抱いてしまう。親切で丁寧にプレイヤーをガイドするのではなく、プレイヤーが自らゲームの魅力を発見していく力があることをこの会社は信頼してくれているようにも思えるからだ。しかし同時にそれはクソゲーを生み出しかねない危険さとも背中合わせであるようにも思える。しかし単に行儀のいいAAAの大作ゲームには見られない魅惑の作品をまた作るのではないか、とそんな期待をしたいくらいには、『紅の砂漠』はその危険な不条理という毒を見事に扱い切っているように私には感じられた。
*1:『紅の砂漠』Steamレビューが"非常に好評"に到達―全言語にて。"賛否両論"のリリース直後から大幅に持ち直す | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト
*2:『紅の砂漠』100時間プレイしてもまだまだ続く新発見。慣れるまではスルメゲー。やみつきになった瞬間、神ゲーに! 気になる点があっても即修正する開発力に期待【オープンワールドの新時代!】 | ゲーム・エンタメ最新情報のファミ通.com
*3:特に似ているとされているのは2018年の『レッドデッドリデンプション2』だろう。またそれ以外にも2017年の『ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド』からインスピレーションを受けている面も大きいだろう。
*4:https://www.reddit.com/r/assassinscreed/s/yo7BZeZDAC
*5:以下のデータは2013年のデータとやや古いが、この時点でファークライ シリーズは2千万本を売り上げているFacts & Figures | About Ubisoft | Ubisoft Group
*6:以下はvgchartなのでやや怪しいが、Video Game Charts, Game Sales, Top Sellers, Game Data - VGChartz





