ビデオゲームとイリンクスのほとり

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『ゼノブレイドDE』は思い出補正を凌駕できたのか。

2010年にWiiで発売された『ゼノブレイド』。当時は、「唯一プラチナ評価を維持し続けたソフト*1」との文句で宣伝されたりもしていた。発売と同時に買ってプレイしたわたしは、確かに『ゼノブレイド』に夢中になった。とても面白かったし、傑作だとも思った。

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しかし『ゼノブレイド』については、とても面白かったという評価をしている人の中にも、どこかその思いに割り切れなさを持っている人はいるようで、「あれは"Wii"というハードで出たからこそ良かったのだ」と語る人も結構いる。これは決して「Wiiリモコン」を上手く活用したソフトだったという話ではない。そうではなく「同世代のPS3Xbox360というHDゲーム機に比べて貧弱なスペックのマシンでありながら、これだけ"ゲームらしいゲーム"が遊べた事が良かったのだ」というような意味だろう。"ゲームらしいゲーム"ってなによ?というツッコミは置いておくとして、それはそれでとてもよく理解できる。Xbox360が2005年。PS3が2006年に出ており、『ゼノブレイド』がリリースされた2010年は、もはやWiiという機械では、それらHD機に匹敵するグラフィックやボリューム感のあるゲームを提供する事が無理なのだと、多くのWiiファンも諦め始めた時期だった。だからこそ、『ゼノブレイド』のオープンワールド感やその長大なボリュームには、これまでWiiユーザーが期待しながらも得られないと思ったいた「何か」を与えてくれた感激があった。

 

だから今、こうしてリメイク作が2020年に出てきても、そこまで楽しめないのではないかと思っていた。しかし、スイッチ版『ゼノブレイドDE』をプレイしてみて、思った以上にちゃんと楽しいゲームであったことは、本当に驚きだった。本稿は、そうした『ゼノブレイド』をめぐる割り切れない思いをできる限り正直に綴ってみたいと思う。

 

シリーズへの期待値を下げた『ゼノブレイド2』

ゼノブレイド2』によって、ゼノブレイドシリーズへの期待は大きく引き下げられた。『ゼノブレイド』の美点は度々言われる事だが、王道であることにある。取り立てて個性が光るキャラがいるわけではないし、展開などもありきたりである。ただ、ラストにかけて突如としてファンタジーがSFになるという点は本作の作劇上の特徴と言えるかもしれない(これだってありきたりと評価する人はいるだろう)。しかしそれ以外の点については、実にベタであり凡庸だと言える。しかしその普通さにこそ、普遍性を感じ取っていたところがあり、この普通さは魅力的なゲームメカニクスによって説得力が与えられていた。そのことが総体としてのゲームの価値を高めていたように思う。

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その点『ゼノブレイド2』は、決してクソゲーなどではないが、いかにもドメスティックで、内輪受け(日本のオタク向け)の意匠によって飾られており、本来『ゼノブレイド』が持っていた良い意味での「普通さ」を失ってしまったように思う。例えば、思いつくだけ列挙しても以下のような点がある。

  • ヒロインのホムラやヒカリは幼児的な顔に過剰に肉感的な身体を持っているという、見る人によってはおぞましいと感じられるキャラクターデザイン

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  • ロリキャラロボットに、JSやJKやJDなどといったコードを付与するという寒いセンス
  • 力強い女性の描かれ方として、結局、最後は命を賭けて犠牲となり好きな男を救うという、最近では都合が良すぎて多くの人が避けている展開を何の衒いもなく表現してしまう素朴さ
  • 当時シリアでの難民があれだけ報道された中で、ゲーム内での難民に対するあまりにも無神経な表現
  • 最後は人類という種としての命をつなげていくことの価値を謳いあげてしまうため、散々これまで言祝いでいた「主体としての個人の意思」は一体どこに行ってしまったのか?という都合の良さ

とにかく脚本のアナクロさには、モノリスソフトの知性と教養の低さをまざまざと感じさせた。ただ、製作者たちが、例えばポリコレ的な表現に対して全く無知や無関心なのではないだろう。いやむしろそうした考え方を知っていて「あえて」やっていると思われる面が多数見受けられる(例えば、終盤のレックスがクラウスから見せられる食事のシーン)。しかしそうしたポリコレ的思想に真正面から反論するだけの論理を持てていないため、幼稚に反抗しているように見えてしまう。しかし、こうした幼稚さを持ちつつも、ちゃんと楽しめるゲームである点は素晴らしいと思う。繰り返すが決して『ゼノブレイド2』は駄作ではない。とはいえ、これを2017年にリリースして恥じない点は残念だったと言わざるを得ない。高橋哲哉率いるモノリスソフトというのは「この程度なんだ」という観念を決定づけたと言える。だからこそ『ゼノブレイドDE』には何を期待して良いのか分からなくなっていた。しかしこの期待の低さは、正に良い意味で裏切られたと言えるだろう。

 

移動の楽しさを高める

ゼノブレイド』は10年ぶりに遊んでも、ちゃんと面白いゲームだった。

ゼノブレイドDE』の楽しさは、どこにあるのかと言えば、それは主にメインストーリー体験とマップ踏破の二つにあると言える。メインストーリー体験の楽しさについては、今回10年ぶりにプレイしてみると、決して尖ったものではないが、クリフハンガーでプレイヤーの興味を常に引き続けるストーリー構成だと感じた。全17章の構成であるが、章が始まるたびに新キャラクターが登場したり、これまでの登場人物の秘密を明かしたり、新規マップで話が進んだりと、サービス精神が旺盛で贅沢な造りになっている。「ストーリーが好き」と評価する人が多いのは、この展開の引っ張りの強さと話が進む度に新規要素が現れるボリューム感を魅力に感じているからだろう*2

 

一方で、マップ踏破という点については、少し入り組んでいる。『ゼノブレイド』はオープンワールドというにはやや狭いが、それでも歩くとそれなりに時間の掛かる広大なフィールドでゲームが進む。総じて、このフィールドは広大ではあるが決して密度が高いわけではない。しかし密度の高い部分と薄い部分の色分けがとてもはっきりしている。そのため、薄い場所を歩くと巨人の国に紛れ込んだガリバーのような散漫な印象を受けるが、一方、濃い部分ではいかにもクエストやイベントが発生しそうな雰囲気を漂わせてテンションを上げてくる。このメリハリによって、ついついフィールドを歩いてしまう。もちろん密度の薄い部分を移動することは退屈なのだが、大量に存在するクエスト、マップ埋め、雄大な景色の3点によって、その退屈さがちゃんと紛れるようにデザインされている。

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ゼノブレイドDE』ではクエストの目的地へのガイドが強化されたことで、悩むことが少なくなり、ストレスが大きく軽減された。これはマップ踏破がストレスと非常に相性が悪かったことを示している。ほとんど頭を働かせることなく、ただ作業として気持ちよくさせることこそが、移動の楽しさを高める。加えて、解像度の上がった景色の雄大さとの相乗効果で、更に脳死マッピング作業の気持ち良さが高まっている。『ゼノブレイド2』と比較しても、『ゼノブレイドDE』のレベルデザインはとても素晴らしいと感じる。

加えて、名前の付いたロケーションや秘境ポイントを発見することで、経験値が手に入り、そのマップ上のすべてのロケーションを発見すると、細部に至るまですべてのマップが明らかになるという仕様も、とても気が利いている。要は、そこまで苦労して細部まで歩き回らなくても、マップ全体を埋めることができる。こうした痒いところに手が届いているのは『ゼノブレイド』の美点だと言えるだろう。

 

余談だが、『ゼノブレイド』は巨神と呼ばれる巨大なロボットの上に様々なフィールドマップが存在するという設定になっている。この設定はとてもロマンのあふれるものであるが、この設定がうまく生かされているとは私は思わない。この設定が上手く生きているマップは「落ちた腕」と「大剣の渓谷」ぐらいだろう。それよりも先述の地道で魅力的なレベルデザインメカニクスの混成によって、ゼノブレイド』のマップはただ歩くことが全然無駄にならないという楽しさを提供してくれているところが素晴らしいのではないだろうか。

 

さすがに古臭いと感じた女性キャラの衣装

そんなわけで『ゼノブレイドDE』は10年経っても色褪せない魅力を放つ名作ではあるのだが、さすがに古臭いと感じる要素もあった。ここではシステム的な面ではなく、1点ビジュアル的な点を指摘したい。それは女性キャラの衣装だ。本作は装備品によって見た目が変わるが、実際の装備品とは別に見た目だけを変更できるように『DE』では「ファッション装備」と呼ばれる新しい仕様が実装されている。このことで、強い装備に変更しても、それまで見た目が気に入っている以前の装備のビジュアルを維持することができる。

 

で、このファッション装備の仕様自体はとても良いのだが、このファッション装備のビジュアルが女性の場合、やたらと胸の谷間を強調する装備が多いように感じる。この点は昔と変えてないのかもしれないが、いかにもこれは古臭く下品である。特に解像度が上がったせいかWiiの時以上に扇情的な格好をしていると感じさせる。

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閃乱カグラ』のようなゲームならいざ知らず、『ゼノブレイド』はその健全さにも魅力をがあったということが、製作者に理解されていないことはとても悲しいことだ。例えば皇女であるメリアであれば「普通に考えて高貴なお姫様がそんな格好しないだろう?」という衣装ばかりが用意されており、キャラ設定的にも強い違和感を感じる。『DE』で追加された衣装もあるようなので、もう少し普通の格好や今風のファッションを追加してバランスを取るなどして欲しかった。もちろん中にはセクシーな衣装があっても良いと思うのだが、そういう衣装が大半を占めるというのは、いささかそのキャラクターの人格を歪めているとも言える。それが単に「行儀の良いリベラルに媚びていない」ことだけのためにこうであるのだとしたら*3、そんな狭量な理由でこの作品の印象を偏ったものにするのは上策ではないだろう。

 

「健全さ」という魅力

繰り返すが、もう少し普通のファッションも増やしておくなどの対応が欲しかった。もちろんそれにはコストが掛かるし、簡単にできることでは無いと思う。しかしDefinitiveを謳うのであれば、それは解像度を上げることに匹敵するくらい気を遣っても良かった部分なのではないだろうか。もう少し正直に言えば『ゼノブレイド2』のビジュアルの方向性は完全に間違っていたと認識して欲しいという切なる願いでもある。

 

元々『ゼノブレイド』の魅力には「王道」というのがある。この「王道」には多分に「健全さ」に近い価値観が含まれていると思うのだ。なにより、それがファンの間口を広くしていた面が確実にある。そうした「健全さ」は端的にクリエイティビティの抑制となるわけでは決してないし、むしろ「任天堂RPG」として、極めて伝統的で保守的なアイデンティティにもなり得るのではないだろうか。

Wiiの時の『ゼノブレイド』のキャラクターデザインは若干日本のアニメらしくない陰りのある雰囲気があったが、それが『DE』では完全に現代の日本のアニメ的表現へと切り替わってしまった。しかし日本のアニメ的表現で勝負しているRPGは既にたくさん存在している。そこに任天堂がわざわざ参戦することにそれほど意味があると思えないし、仮にその方向性を目指すのであれば、これまでにない実験性や新奇性を盛り込むなどの知的な挑戦が欲しいと感じる。『ゼノブレイドDE』は素晴らしい作品ながらも、こうした期待が今後も叶えられそうにないと思わせる。思い出補正を凌駕できた作品ではあるのだが、これはこれとして思い出として完結してしまい、残念ながら未来に期待できるものが少ないと感じさせる作品でもあった。(おわり)

 

*1:Wiiの『みんなのニンテンドーチャンネル』で、購入者による評価が閲覧できた。そこで唯一長期間プラチナ評価を維持し続けたのが『ゼノブレイド』だった。

*2:また『ゼノブレイド』は、カットシーンのカメラワークが非常に素晴らしい。『ゼノブレイド』のキャラクターモーションはいかにも古臭いが、そんなモーションであっても可能な限り見応えのある絵作りをしていることは本当に凄い。メインストーリーの魅力の大きな要素であることは間違いないと思う。その魅力は『ゼノブレイド2』にも引き継がれている。

*3:そんなアンチリベラルという考え方で何かを表現している訳ではないと考える人もいるだろうが、例えば『ゼノブレイド2』にはそうしたルサンチマンを感じさせる要素が非常に多い。ラストのホムラとヒカリが分裂して再会するところも「フィクションなんだから都合良く俺たちの欲望を叶えて何が悪いんだ?」というネトウヨ的なヤンチャさを表現しているように思えてならない。