2022年5月にSTEAMでリリースされた『DRAINUS(ドレイナス)』。ノーマル2周目をクリアし、ハード2周目をプレイしている状態で、この感想記事を書いている。難易度や開発コンセプトなどを巡りネットでは少し話題になったが、そんな点も含め、感じたところを書いていきたい。なお、今のところPC版だけで、SwitchやPS4などコンソール機で発売されていないが、ぜひ移植してほしい作品だ。
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追記(2023.02.01): 『DRAINUS (ドレイナス)』のNintendo Switch版がとうとう2023年2月2日に発売される。多くの「下手の横好きシューター」にオススメしたい。これまで「初心者向けシューティング」という宣伝文句を冠した作品は単に凡作や駄作でしかなかった、そんな苦い思い出を持つ私を含めた全てのにわかシューターにとって救いとなる傑作だと私は思っています。
全般的な感想
非常に満足した。「傑作」と言いたくなってしまう。そのくらい良かった。やや大袈裟な言い方になってしまうが、「新時代のシューティングだ」と感じた。初めて『真・三國無双(初代)』をプレイした時に近い感動を思い出した。と、こう書くと微妙だろうか。「ん?褒めてんの?もしかしてdisってる?」と思われたかもしれない。「無双って…」と。
ただ、私は完全にこれは褒めている。皮肉とかではなくて、『ドレイナス』は、本気で一つの新しい時代の節目になる可能性がある作品だと思っている。『無双』は草刈りゲームなどと揶揄されることもあるが、あれはとてつもない発明だった。「ゲーマーじゃない普通の人が、普通に遊べる3Dアクション」であり、『無双』は奇跡的な作品だと私は思っている。ゲーマーは忘れがちだが、3Dアクションの操作は普通の人とってかなり難しい。それを達成しているだけでもすごいことだ。『ドレイナス』もまた普通の人が普通に遊べるという奇跡を、シューティングというジャンルで起こした作品であり、『ドレイナス』はジャンルの意味を変えるかもしれない傑作だと感じている。
『ドレイナス』が凄いのは、「シューティングってこうじゃなきゃいけないのかな?」と下手の横好きシューターが畏れ憚っていたことを「別にそんなことないよ。これでいいんだよ」と力強く後押ししてくれたところだ。この寄り添ってくれる感じは、決して何か一つのメカニクスやアイデアや仕様によって達成されているのではないだろう。あくまで、「この作品はこうあるべきだ」という強い信念の下に、あらゆる要素をその信念に志向する形で作られたと感じる(実際はどうか知るべくもないが)。
なお、私自身のシューティング歴を少しだけ書いておく。おそらくこの辺りがこの作品への評価を分ける重要な要素になる。
私がシューティング(いわゆる英語で言うところのshoot 'em up)に明確に興味を持つようになったのは、5,6年前で、あまり上手いわけではない。比較的遊んだゲームは『ダライアスバーストCS』『ケツイ』『バトルガレッガ』など。正直、シューティングと言っても何を遊べば良いのか最初は分からなかったので、かなり癖の強い『バトルガレッガ』などを遊んだりしてしまったが、あまり上手くなれなかった。3面を1upしつつ、ノーミスでクリアするのが全然安定しなくて、辛くなってやめてしまった。『ケツイ』もやはり4面くらいで、頑張る心を失ってしまった。それでも、それぞれ30時間ぐらいはやっていると思うが、根気もなければ下手でもあり恥ずかしい限りだ。両作品とも時々遊びたくなるから、作品としては大好きである。正に下手の横好きシューターであると自己認識している。一番遊んだのは『ダライアスバーストCS』で、おそらく130時間くらいは遊んでいる。QUZルートでノーミスクリアの実績(トロフィー)を取れたことは数少ない自慢できることの一つかもしれない(でもノー被弾クリアは諦めた)。ただ、そのトロフィーを取って満足してしまい、遊び尽くすようにはプレイできていない。
点数稼ぎ(スコア)はあまり興味が持てず、しかし狙わないのもシャクなのである程度頑張るのだが、そうなると余計にミスも増えて嫌になる、なんてパターンが多い。私は1cc(ワンコインクリア)を目指す遊びの方が得点稼ぎよりも好きなのだと思う。例えば、点数稼ぎが「遊びの本質」と思われる『デススマイルズ』などはあまり夢中になれず、早々に積んでしまった(稼ぎに本質がある、という上記の判断も正しいのかは自信がない)。いずれにしろ、シューティングは気になる作品を買ってはみるものの、少し遊んで積みゲーになってしまった作品が多い。
難しいことが問題なのか
シューティングは自分にとってかなり難しい。ジャンルの平均難易度が、他ジャンルのゲームに比べて、突出して高い。私はソウル系や『Sekiro』など難しいとされている3Dアクションは好きだが、シューティングに比べると、『Sekiro』などは相当易しいゲームだと感じる。3Dアクションの中でも難しいとよく言われる『ニンジャガイデン』の最高難易度と比べてもそうだろう。私にとってはそれくらいシューティングは難しい。もちろん人による向き不向きもあるだろう。しかし、名作と言われるシューティングでも、その難しさに辛くなってしまうポイントは、単に「難しい」というだけでは少し言葉が足らない気がする。好きになりたいのに、挫折してしまう。それはどの辺りにあるのだろう。
私としては、シューティング作品の多くが、「覚えて対処する」というタイプの努力だけでは、早々に上達の限界が来てしまうところに、私にとっての「難しさ」があると感じる。もちろんシューティングにも「覚えて対処」する場面は多い。しかし、手を動かし、指を動かし、楽器を弾きこなすような訓練が、シューティングの場合、3Dアクションに比べて遥かに多く必要になる。なぜ「覚えて対処」がシューティングの場合に上手くいかないかと言うと、シューティングはもっと長い時間単位のシーケンスでの一連の操作スキルが求められるからだと考えている。例えば『Sekiro』であれば、適切にとるべきアクションが、もっと短い単位で区切られる。敵ボスのこの攻撃の時は、この動きをする、この攻撃の時はこの動きをする、とそれぞれ分割して覚えていくことで、その敵ボスに対象できるようになる。仮に途中でミスをしても、次の行動サイクルの単位からやり直しが効きやすい。しかしシューティングは、その行動サイクルの単位が長い。どこからどこまでを一つの区切りとするか、この判断からして難しい。例えば、従来のシューティングだと、ボスの特定の攻撃はその攻撃が始まる前から、画面の左端に寄っておいて、その上で、次の攻撃に備えて、ボスのある部位を集中攻撃して破壊しておかないと、次のシーケンスでほぼ死んでしまう、みたいなことが普通にある。シューティングが上手くなるには、かなり長いシーケンスでの一連の流れるような操作スキルが必要になる。そしてそれはある種のリズム感のようなもので補い実行する必要がある。難度が高いと言われる3Dアクションの方が、言ってみれば行き当たりばったりにプレイができる「易しさ」がある。私が一番ハマったシューティングが『ダライアスバースト』であることと、『ドレイナス』を気に入ったというのはおそらく関連するだろう。『ダラバー』は設置バーストによって、各場面での生存のための対処方法が明確で、そうした「覚えて対処」が効きやすいパズル的な点は共通するかもしれない。
『ドレイナス』の区切りの短さ
『ドレイナス』は、その点、すこし難しめのアクションゲームをプレイする感覚に近い。2面のコンテナから4つ足のロボットが何体も出てくるシーンなどは象徴的だろう。あれは、初見だと意外に硬くて強いと思った人もいるかもしれないが、一度倒せるようになると、全くミスしないで倒せるようになる。シューティングで同じような巨大なモブ敵が何体も出てくる場面というのは、大抵、プレイヤーの生存率を削るような存在だ(ケツイ 4面のナイトメア連続出現とか)。しかし『ドレイナス』で同じような敵が出てくる時は、それはあくまで練習のために出てくるようなところがある。敵の動きや癖を覚えるために何回も出てくる。一回一回が区切られ、その区切りで生存できるなら次も生存できる。これまでのシューティングゲームが、クレジットごとの複数回プレイによって訓練させるのに対して、『ドレイナス』は一回のプレイの中でちゃんと訓練して上手くなるまでの過程を体験させてくれる。
これはやはり区切りの短さという面が大きいと感じる。従来の名作シューティングは、1つのステージを通して、同じような局面というのがあまり出てこない。1つのステージにおいて、それぞれの部分がそれぞれ異なる意味を持って、全体として有機的に連動している。これはこれで芸術的な仕上がりを感じるが、『ドレイナス』の場合、各シークエンスの独立性が高く、悪く言うとぶつ切れな印象はある。しかし、一回のプレイの中で、ある程度の満足感を与えるという意味では、現代的なユーザビリティの高さや成熟さを見事にシューティングというジャンルでも達成しているように思える。
何より、ゲームオーバーでコンティニューする時、シューティングでは定番の「即時その場での復活」ではなく、チェックポイント制を取っていることは大きい。「即時その場での復活」の方が、初心者がクリアしやすいという点では良いのだが、これはシューティングのような難度の高いゲームをわざわざ遊ぶ人にとっては屈辱でしかない。しかし『ドレイナス』はチェックポイントまで戻して、その時の機体のパワーアップ状態で再開する。このチェックポイント制によって、従来のコンティニューが与えていた屈辱は軽減され、ミスは「悪い夢だったんだ」と都合よく頭の中で編集カットしてなかったこととし、自分のスキルによって一定の区間を確かに踏破できたのだ、という自尊心を保つことができる。*1
明確でノリやすいストーリーテリング
『ドレイナス』が巧みだと思ったのは、ストーリープロットにタイムトラベルのネタを持ってきた点だ。正直言って、これまでのシューティングでの物語やフレーバーテキストというのは、独りよがりではないかと感じていた。説明不足な割に大袈裟すぎるというか、唐突な感情移入を要求されるというか。シビアすぎるゲームプレイと共にあると、そうしたテキストも良いのかもしれないし、アーケードゲームとしてのビジネスモデルに制約される部分も大きいだろう。しかし『ドレイナス』のプロットと物語上のフックは非常にわかりやすい。はっきり言ってしまえばベタベタである。しかし、この分かりやすい話のトリックこそが、素晴らしい。全く偉ぶるようなところがなく、特に一周目が終わった段階の、縦と横が反転したロンドンという街のビジュアルの面白さと、ゲームシステムとタイムトラベルネタの連動は、狙い澄ましたベタさでありつつ、見事に2周目へのモチベーションとなっている。
「恋バナがなぜ面白いかといえば、それは恋バナであるからだ」というようなある種の割り切りに近く、タイムトラベルネタは実に分かりやすく人を楽しませてくれる。こういうサービス精神のある物語は、シューティングというジャンルで意外にこれまで実装されてこなかったのではないか。いやもちろん『アインハンダー』のような素晴らしいストーリーテリングのゲームもあるにはあったが、ああしたゲームが例外のようになっていたことこそが、シューティングというジャンルの閉塞性だったのかもしれない。
そしてこれは個人的な趣味ではあるが、『ドレイナス』が美少女的な素材に走らなかった点もどこか好ましいと思う。
開発意図は理解して批評すべきか
本作の開発者のTwitterにおいて、IGN Japanのレビュー*2に対するネガティブな反応として「びっくりするほど開発意図が伝わっていない!」というツイートがあった*3。最初、このTwitterでの反応を見た時、正直言うと、私は開発者側に否定的な印象を持った。というのも、そもそも開発意図の把握や伝達の正確さというのは、客観的に判断することは極めて難しいし、そもそも第三者レビューというのは基本的に作者の意図とは違った観点に立つからこそ価値がある。また、(たとえ理解していないように見えても)意図を理解した上で、レビュアーがあえて言っている可能性はどこまでも否定できない。そもそも作者自身の言葉であっても、作者の意図が正しく表明されるとは限らない。たとえ本人がそう言っているからと言って、それが「正しい」かどうかは、正しさを測る観点により相違する。この辺りはあらゆる芸術作品においても同様であるだろうし、もちろんビデオゲーム作品についても同じだろう。作者の意図についての話は、概要的にはこちらの2つの記事が参考になる。
→芸術作品の「最適」な解釈を求めて:ジェロルド・レヴィンソン「仮想意図主義」について - obakeweb。
しかし、このゲームを実際にプレイしてみて、なんとなく開発者側の気持ちも分からないではないなと思った。これもまた勝手な想像でしかないのだが。
まず、既にネットでは多くの人が指摘していることだが、「開発者が高い優先度を置いている要素がほとんど肯定的に言及されず、開発者が相対的に優先度を下げた点について批判的に言及されていることに、両者のすれ違いがある」ということなのだと思う。私としては一番感じたのは、この作品は初心者だけに向けた作品ではないということだ。初心者だけではなくて、シューティングをやりたいけど、上手く遊べない、でも遊びたいと思う、ある意味こだわりの人に向けた作品なのだ。だから、「初心者向けとしてどうなんだろう?」という批判が仮にあったとしても少し違うように思う。そこまで簡単すぎるゲームではない。完全なビギナーというよりも「やる気もあるし、矜持もある。しかしマジでシューティングはどれもこれも難しすぎだろ!」と心折れてきた人たちに向けたゲームなのだ。だからこそのチェックポイント制であり、カスタマイズ可能な高性能機体であり、従来のシューティングに近い一撃死モードの名前はRidiculous(ばかげた)、ゲーム内の日本語では「理不尽」という名前なのだ。「理不尽」だからこそ、通常のノーマルやハードをプレイすることに引け目を感じる必要がなくなる。
本作はある種の「救い」である。これまで望んでも手に入らない、なんなら「お前が下手なだけでしょ?」と疎外され続けてきたシューティングに憧れを持つ者たち。本作は彼らへと遅れて届いたパーティへの招待状なのだ。それを「ヌルい」「底が浅い」と一刀両断することはできるし、もしかしたらそれは正しい批判かもしれない。『無双』だって、「深みがない」という批判は正しいだろう。それでもその「正しさ」とは全く別の論理によって成立してしまう遊びがある。それはフロンティアであるし、新たな地平である。私の実力が低すぎて、『ドレイナス』の底が浅いかどうかの判断は上手くできないが、本作が「救い」として働いてしまう事実については無視できない。それは単に「簡単だから与えられたもの」ではない。本作は「無理して1ccしなくてもいい。それでも感じられる歯応えがある」ということをシューティングでも実現可能だと希望を見せてくれた作品だ。
私としてはこのゲームが切り開く未来のシューティングに心躍らないわけにはいかない。『ドレイナス』は第一歩である。おそらく無数に改善や進歩が図れるところはあるだろう。しかしこの偉大な一歩によって開けた風穴の大きさには、1人の下手の横好きシューターとして興奮してしまう。ぜひ本作が日本に限らない世界中の多くのシューティングに憧れてきたゲーマーの自尊心と矜持に響くことを願ってやまない。
*1:補記(2022.6.4)ハード2周目をクリアしてアーケードモードにトライしたが、なるほどチェックポイント制の通常モードを最初に持ってきたかったのがようやく分かった気がした。チェックポイントからのやり直しとはいえ、ある一定区間を限られた残機でクリアできた人なら、従来のシューティングゲームのように「即時その場で復活」のアーケードモードで1ccクリアできるかもね、がんばってねという狙いだったのだと感じた。実にきめの細かい道程を示してくれていると感心した。ただ、最初にプレイする通常モードは、ある意味トレーニングモードでもあるわけで、だからこそアーケードモードを最初からやりたかったという人がいても不思議ではないかもしれない。
*2:該当のレビュー→気軽に食べられる名作シューティングの幕の内弁当『DRAINUS』レビュー
*3:該当ツイート→ladybug 2Dゲームクリエイターグループ on Twitter: "びっくりするほど開発意図が伝わっていない! #DRAINUS #ドレイナス https://t.co/OvNnopr7CI" / Twitter