ビデオゲームとイリンクスのほとり

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映画などの感想についてはこちら『映画と映像とテキストと』で書いています。

 

 

『バイオ8』はシリーズで最もメタ的な視点に満ちた批評的傑作

バイオハザード ヴィレッジ(以下、バイオ8)』は2021年4月に発売されたバイオハザードシリーズ本編の流れを汲む作品だ。"VILLAGE"の先頭4文字"VILL"をローマ数字のⅧに見立てており、本編としては8作目になる。またタイトルにある通り、一つの村を中心に物語は展開していき、最後まで完結する。この閉鎖された舞台で話が最後まで進むのも、初代から続くシリーズらしさを持っていると言えるだろう。

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本作を最初にプレイし始めた時には、私はかなりガッカリした。序盤は物語の展開が激しい割には移動することぐらいしかできないし、かと言ってかなり初期の段階でサラッとショットガンが手に入り、スナイパーライフルやグレネードランチャーのような強力な武器も割とスンナリと入手できてしまう。弾がそれほどカツカツになることもなく、ゲーム展開がサッパリとしている割には、妙にガチャガチャとコミカルで超現実的なフレーバーでゲームの世界観が描かれる。全般的にチグハグさとアンバランスさを感じてしまい「正直、このゲームはダメだな」と思ってしまった。この感想が変わってくるのは湖のステージをクリアしてからぐらいだったが、それでも物足りなさを感じつつ1周目をクリアした。しかし、気まぐれで2周目を難易度「ハードコア」でプレイしてみると、本作に対する印象はガラッと変わった。ものすごく面白いのだ。特に序盤のライカン襲撃の緊迫感とクリアした時の達成感は1周目では中々味わうことができないものだった(なおクリア特典の引き継ぎをしての周回プレイ)。このゲームがゲームとして十分に面白いと思えてくると、本作のチグハグにしか感じなかった雰囲気や世界観や演出というのも段々と素晴らしいものに見えてきた。

なぜイーサンは、初っ端に指を2本失うのか?

村での探索が始まる初期の場面で、イーサンはいきなりライカンという人狼に襲われて左手の2本の指を失う。バイオシリーズというと、どんなに瀕死になっても回復薬やハーブを飲む(?)だけで全回復するという謎の体質が前提となっている。しかし本作においては、失われた2本のイーサンの指は最後の最後まで回復しない。

シリーズの中でも「修復されない身体」というものを描いたのは本作が初めてではないだろうか。しかし一方で、多くの人が「え!」と思うのは城での右手の切断と接続(?)だろう。なんで回復薬を振り掛けただけで切断された右手首がキッチリと繋ぎ直すことができるのか?と多くの人が驚いた場面だ。

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このシーンを見た時に、人によっては本作が「夢オチ」なのではないか想像した人もいるかもしれない。しかし考えてみると、咬み傷や裂傷で致命傷を受けても従来シリーズではハーブでアッサリと回復してきた。今まではそれに疑問を持たずにきたわけで、本作の右手のように切断と回復をああして描写されると今更ながら私たちは非現実的に感じてしまう。ファンタジーとリアリズムの混在は正にシリーズの特徴だったが、そこはゲームらしいお約束として、これまで明には作品内で説明をしてこなかった。しかし『バイオ8』はそれをあえて堂々と説明する。ラストで明らかになるイーサンの特異体質は、結局説明として妥当なのかなんなのかよく分からないわけだが、その直球さには『バイオ8』という作品の真髄が現れていると私は考える。バイオシリーズの持っていたご都合主義とお約束をそのまま戯画化しており、セルフパロディに皮肉とユーモアと歴史を盛り込んでいる。指を2本失うことで、イーサンの指の数が8本になることは、本編8作目にして、これまで明確には語ってこなかった「修復されない身体」と「修復される身体」の矛盾を描こうとする覚悟が表れているのではないだろうか。

いかにもゲームらしい4人の貴族たち

本作には時折メタ的な視点がイーサンや登場人物のセリフとして表現される。初期に城に忍び込んだイーサンがハイゼンベルクに捕まり、そこで言われるのは「ゲーム」という言葉だ。「いよいよゲームの始まりだ!」とゲーム自身が語る。

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本作のストーリーは正直言って起伏の少ないプロットだと言える。バラバラにされた娘を、4人の敵ボスからそれぞれ奪い返すだけのストーリーとも言える。3つの紋章でも、8つのクリスタルでも、本作のように4分割された身体でもなんでもいいが、なぜゲームはやたらとキーアイテムを集めたがるのか。そこに物語としての本質的な理由はない。ゲームという商品が備えるべき機能として、目的となるオブジェクトを集めさせているに過ぎない。『バイオ8』においても、4人の貴族が誰なのか、どういう葛藤を抱いているのか、そういうことは二の次になる。

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そんなことを知ってか知らずかイーサンはメタ的に「何でもアリだな…」と語ってしまう。解像度と描画能力の圧倒的な向上により、ゲームはもう一つの現実を描こうとしてきた。そんな世界的な業界の流れからすると、バイオハザードというシリーズはやや古臭く、ゲームとしてのお約束がやや冗談めいてきてしまっていた。なぜ木箱に銃弾がしまわれているのか。なぜ花瓶を割るとアイテムが出てくるのか。なぜそんなパズル的仕掛けを建物内に施す必要があるのか。全てがゲームの都合でしかないものを『バイオ2〜4』の頃には素朴にそのまま表現していたように思う。いくつかの言い訳があったが、なぜ警察署に謎のオブジェクトや銅像やパズル的仕掛けが満ちているのか、それを恥ずかしがるようなメンタリティは薄かったように思う(『バイオ2』で言えば「警察署は元美術館だったのだ!」で説明しようとする面の皮の厚さ!ある意味すごい)。それが『バイオ5』や『バイオ6』のような変遷を経て、『バイオ7』においてよりリアルな意味づけによって舞台を描こうとする方向に変化してきた。例えば『バイオ7』では、謎かけギミックを狂人である男が作り上げた妄想的なゲームとして描いており、これまでとは一線を画すリアルな世界設定でバイオ世界を描いていた。

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↑『バイオ7』のルーカス。やや知性のある狂人。変なパズルの存在がこの狂人の元で作られたと思えば比較的リアルな設定だったと言える。

『バイオ7』はそうしたややコミカル的になっていたシリーズの謎かけギミックを、海外ドラマ風の持ち味で(シリーズとしては)新たなリアリズムとして描いた。しかしその前作を裏切るように、続編の『バイオ8』がここまで自覚的にコミカルとファンタジーを前面に押し出してきたことは、極めて内省的なシリーズへの自意識を逆に感じさせる。

『バイオ 8』は中途半端なのか?

『バイオ8』のチグハグで中途半端にも見える世界観の描き方は、単に「作りの下手さ」や「制作都合上の妥協」によって、たまたまそう作り上げられたに過ぎないのでは?と思う人も多いだろうと思う。そうした見方はある程度妥当性があると思われる。例えばIGN Japanによる『バイオ8』のレビューでは「ホラーとしてもアクションとしても中途半端」と評しており、この見方には一定の説得力があると考える。

『バイオハザード ヴィレッジ』レビュー 水と油な部分はあるものの、豪華なパフェのように多くの要素を取り揃えたホラーアクション

しかし、私はこの作品は中途半端だという非難はある程度妥当だとしても、かなり自覚的にこうした中途半端な作品が、意図的に作られていると考える。なぜ『バイオ8』はいかにもゲームっぽい世界観を素朴に描きつつも、『バイオ4』ほどにはアクションゲームという方向性に振り切っていないのか。それは『バイオ8』の特徴がバイオハザードというゲームのアイデンティティを追求するところにあるからだと考える。奇妙で不自然なギミックやアイテムがあったとしても、そうであることの理由を説明しないのはシリーズの伝統だった。謎の洋館に石片を挟むと扉が開く仕掛けが存在することに、物語世界の中で理由づけはなかった。しかし、そうしたことを真面目にカットシーンやテキストによって説明することが果たしてバイオシリーズの役目なのだろうか。『バイオ7』を経た上で、そういう自問自答が『バイオ8』の開発者の中にはあったのではないか。だからこそ、このいかにもゲーム的で、一見すると幼稚なギミックの数々を伝統に則って配置はするものの、従来のシリーズらしく単に説明しないのではない。『バイオ8』では専制君主たるマザーミランダの被害者でもある4人の貴族という歪な存在により、このいかにもゲーム的な世界が作られたのだとメタ的な自覚と共に説明しようとする。しかし、その必然性であったり、プロット上の脈絡というものは『バイオ7』ほどには特に頑張って説明したりはしない。様々な紆余曲折を経てきたシリーズの歴史の長さゆえに、すでに色んな試みがなされてきてしまった中で、『バイオ8』は針に糸を通すようにささやかながら巧みなオリジナリティを表出したのだとわたしは考える。

イーサンとは何者だったのか?

しかし、私のこうした『バイオ8』擁護は、やや牽強付会な強引な読みだという誹りは免れないだろう。しかし、イーサンという主人公について考えると、やはりこの作品が持つメタ的な視点には非常に強い意志を感じてしまう。『バイオ8』においてイーサンとは何者だったのか。これはもう端的に言って「ゾンビ」であったわけだ。

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しかも始祖、原種に近い能力で不死身の肉体を持ったゾンビだった。今まで散々にゾンビを蹴散らしてきたバイオシリーズで、初めてゾンビが無双をする物語を描いたのが『バイオ8』なのだ。しかもイーサンの顔は最後まで分からない。何者なのか一切わからないまま、ほとんど無名のゾンビとして最後には死んでしまう。これまでかなりコミカルで、やや安っぽさも漂う英雄的な主人公ばかりが登場してきたバイオシリーズにあって(レオンのあのキャラの安っぽさ!)、イーサンは初めて無名で普通の人間のように現れて、そして死んでいった主人公である。もちろん今後の作品で実はイーサンは何か特別な存在だったと「判明」するかもしれないが、それはそれである。

悲しい家族ドラマを見せるのもこれまでのシリーズ作品では無名のNPCの市民や日記に残るテキストばかりで、主人公格はいつもどこか浮世離れしたファンタジカルな存在だった。イーサンが初めて主人公でありながら、素朴な家族ドラマの中心人物でもあった。そして彼自身がゾンビであった。死を克服するゾンビが最後に死に、生殖によってこの世に新たな生(ローズマリー)を残す。イーサンという存在はそうしたバイオシリーズの矛盾を一身に寄せ集めたような存在だった。これまでのバイオシリーズでは、主人公はかなり単純にヒロイックなイメージで描かれてきたからこそ、この『バイオ8』のイーサンという存在の描写の複雑さは目を惹く。

ただ過去の作品からの逆張りをするのでもなく、かと言って伝統に則った同じことを繰り返すのでもない。『バイオ8』はこれまでのバイオを真面目に反芻しまくった結果、その多大なる産みの苦しみを感じる批評的な傑作だと言えるのではないだろうか。