2022年10月に『ベヨネッタ3』が任天堂からリリースされた。ベヨネッタシリーズは大好きなアクションゲームだったが、最新作の『3』は信じられないほど夢中になれない作品だった。しかし、楽しんでいる人も多い。ネットでの評判を見るに、本作のストーリーにもアクションにも満足している人は多い(もちろんどちらか一方だけ好きという人もいる)ようなので、わたしの個人的な趣味の問題なのかもしれない。
『1』(2009)と『2』(2014)は、難易度ハードで全チャプターをプラチナ評価にするまでハマったゲームだったので、『3』は1周目から進めるのが億劫になるとは予想外だった。なぜこんなにも楽しめないのだろうか。理由はいくつかあるのだろうが、自分が気に入らない理由をちゃんと言語化しておくことは、自分がゲームに何を求めているか理解するのに有効だろうと思いつつ、自分の心許ない「感覚」を言葉にしてみたいと思う。
安い二次創作のようなベヨネッタ達
本作『3』のベヨネッタは、これまでとはまた異なったビジュアルのベヨネッタとなっている。『1』の黒髪の美しい魔女というイメージ自体は決して奇抜なものではなかったが、メガネという小道具で独特の雰囲気を醸し出していた。また『2』のショートの髪型に生まれ変わったベヨネッタもまた『1』とは異なった印象ながらも、「ああ、なんとなく気まぐれに髪を短くしてみたんだな」と、ベヨネッタの自由で奔放な性格を想像して、前作から変化してもなお納得のいくビジュアルだったと感じていた。
『3』になって、おさげ三つ編みという印象的な髪型になり、かなり違和感のあるビジュアルになったが、これはベヨネッタの幼少期であるセレッサと同じ髪型にしていることがストーリー的にも大きな意味があり、単に奇を衒った意匠というだけでもないのだろう。また、本作はマルチバースの多世界という舞台設定になっているため、『3』のベヨネッタは、前作までのベヨネッタとは異なった世界線のベヨネッタということになっている。*1
キャラクターのデザインは、シリーズを通して島崎麻里さんが担当されており、Twitterなどで上がっている『3』のデザイン画を見ると、これはこれで魅力的なベヨネッタであるように思える。
ある種の幼さやロリさと、傲慢で妖艶な大人の魔女という2つの特徴を両立させようとするとても難しい挑戦を『3』では取り組んだのではないかと思う。しかし、実際に動く『3』のベヨネッタを見ていると、確かに魅力的な面はあるものの、ややチグハグな印象を与えるキャラクターになっている。その気持ちは端的に「ベヨ姐さん、本当にその格好をしたくてしてるんですか?」と問いたくなる感覚である。ここまで変化したビジュアルを、ちゃんとプレイヤーに納得させられるだけの脚本になっていないこともまた、本作のビジュアルのキツさにつながっている。また、高慢で不遜な態度を取りつつ、世界を救うという他者のための行動を取るのは、どこか矛盾した性格にも感じられる。『3』では、それを「複雑で多面的な人物像」として描きたいのかもしれないが、セレッサというピュアさや親子の愛情を、その矛盾を説明する理由として使っているのであれば、やや短絡的でつまらない語り口だと言えるだろう。愛する家族のために世界を救うというのであれば、ハリウッドの娯楽大作のような単純さだ。仮にそうした単純な娯楽大作を目指すのであれば、こうした一見複雑にも思えるマルチバース設定は不要であり、その設定を活かせているとは言えないだろう。もちろん母親としてのベヨネッタを描くにしろ、この母親らしからぬビジュアルを採用することで、「単純な描き方ではないというこだわり」を示したのかもしれないが、『3』では作品全体を通してベヨネッタが何を考えているのか分かりづらく、全く説得的ではなかったと感じる。
また、メインビジュアルのベヨネッタだけではなく、多世界の様々なベヨネッタのビジュアルにも魅力をあまり感じられなかった。
東京渋谷に現れるベヨネッタは、これまた独特な見た目ではあるが、パッと見ほどの魅力は薄い。このベヨネッタが描かれる時間が短いこともさることながら、マルチバースのベヨネッタ は『1』の時のような静止画主体のカットシーンで描かれるため、余計に感情移入がしにくい。
中国の万里の長城のようなステージに現れるベヨネッタは、確かに中国っぽいイメージを備えているものの、そのケバケバしい見た目が、ステージデザインやモブキャラの地味さによって、どこか浮いているような印象もあった。
総じて、どのベヨネッタも「コスプレをしているベヨネッタ」としか感じられなかった。映画『スパイダーバース』(2018)の数々のスパイダーマンにそれぞれの魅力と存在感に説得力があったこととは異なり、「今回はマルチバース設定なんで色々なベヨネッタを作りました」という後付けの印象を強く抱いてしまう。他のベヨネッタの魅力の無さが、かえってメインのおさげのベヨネッタを相対的に「よくできてる方だな」と感じさせるという皮肉な印象もある。私自身、コスチュームを色々変えてみたものの、最終的にはメインであるおさげコスチュームに落ち着いたのはそう感じたからである。
考えてみるに、ベヨネッタというキャラの魅力はその孤高さにあり、誰が何と言おうと「私がそうしたいからそうするのだ」という意志を感じさせるところに魅力があった。極めてセクシーな格好をしていても、それが「やらされている」という印象を与えないからこそ、ベヨネッタには単なる性的消費には回収されない力強さがあったと言える。『3』は「気の強い女が好き」という欲望を捉え損なっている。それゆえ本作のさまざまなベヨネッタは、悪い意味での二次創作のようなチープさが感じられる。一時的にそういう格好をするのであれば納得できるものの、その格好のベヨネッタという存在が長い時間を掛けてその世界で生活をしてきたということを信じさせるに足る理屈づけも物語もセリフも弱かった。そのため悪い意味での「コスプレ」のようにしか感じられなかった。
無駄に長いカットシーン
カットシーンはシリーズおなじみのものであるので、今更カットシーンがやや退屈であることはさして問題ではないと思う。しかしもう少し短くしても良かったのではないかと思う。しかもカットシーンのアクションやセリフが「今までのベヨネッタだったら、こんな感じですかね?」というベヨネッタのパロディをやっているような印象があり、シリーズの中でもどのシーンも見所の薄いものばかりであった。ここまで早く終わって欲しいと思うカットシーンは珍しいのではないかと思うほどだ。また、特に序盤のゲームテンポを悪くさせていたように思う。
序盤のカットシーンでは『AKIRA』のように街のビル群が倒れたり、街全体が大災害に巻き込まれるような派手さはあるものの、そこに質量を感じさせるだけの見応えはなかった。ニンテンドースイッチというハードの非力さもあるのかもしれないが、どのシーンにもハリボテのような軽さを感じた。
手に馴染む時間のない新規アクションの多さ
本作はこれまでのシリーズとは異なる操作を様々に導入している。新キャラの追加もそうだし、ベヨネッタ自身の操作もこれまでと異なっている。こうした新しいことに挑戦する姿勢は素晴らしい。既に確立された操作を変えることには、大きな勇気が必要だっただろうと思う。しかも決して改悪になっているのではない。ちゃんと面白いアクションに昇華させている点が素晴らしい。こうした挑戦には最大級の賛辞が送られるべきであると思う。
しかし、こうした新規アクションが手に馴染むまでの時間と適切な学習ガイドが今ひとつだったように思う。新規武器の使い方を寄り道扱いである道中の小タスクやパズルなどで覚えさせるコンセプト自体は別に問題ないが、どれも説明不足で分かりづらいと感じた。ちゃんと理解できたという手応えがないまままにパズルが解けてしまうことも多く、そのため達成感もあまり感じられず、その操作自体も楽しいとも思えない場面が多々あった。特に機関車の魔獣は扱いづらいだけで、なぜこの能力でなくてはいけないのか?という違和感をなかなか拭えず、やっていて辛かった。どの武器も、どの魔獣も新しいことに挑戦するのは良いのだが、そうした仕組みを作った後に「じゃあこの能力を活かすためにこういうパズルを作ろう」とか「この武器にはさらに別の能力も追加して便利にしよう」とか、なんとも行き当たりばったりにそれぞれが作られているように感じる。いや、別にそうした作り方でも何の問題もないのだが、プレイヤーの気持ちを置いてけぼりにするようなあまりにも制作側の都合で様々なメカニクスが構築されているように思え、プレイヤーの心理的なゲームへののめり込みを阻害していたと感じた。本作は『1』や『2』よりもボリューム感のあるゲームになっている。もしかしてゲームテンポを良くするために様々な説明やカットシーンもできる限り削ったところはあるのかもしれない。だとしたら、そうした取捨選択のバランスが決して良くなかったと感じる。慣れれば問題ないのかもしれないが、正直、数々のやりたくもないパズルや操作の数々を思い返すと、これから何周もプレイしたいと思えるかどうか甚だ怪しい。
同じ場所を行ったり来たりする退屈さ
これまでのベヨネッタはほぼ一本道のステージ構成だった。しかし『3』になってかなり幅広いステージ構成になった。探索などはこれまでのシリーズでもあったものだが、本作『3』ではその要素が強調され過ぎているように感じる。
何より悪いと感じたのが、ステージの各箇所の特徴の無さだ。どのステージも同じような場所を行ったり来たりしているように感じる。同じ場所に戻ってしまったと思ったら、実際はちゃんと進行していたり、はたまた単に前の場所に戻っていたりすることもある。プレイヤーを迷わせたいと思ってステージを作っているのなら製作者の意図通りなのかもしれないが、ベヨネッタのようなアクションでそうした「迷わせる」ことが必要だったとも思えない。ステージ内の地形の組み合わせも、いかにもゲーム的な味気ないものに思えて、それぞれの戦闘シーンの印象を弱めており、正直、これまでのシリーズではあった「記憶に残る戦闘場所」というものが一つも思い出せない。道中がこんなにも楽しくないベヨネッタは初めてではないかと思う。
遊びの種類は豊富だが気持ちがノレない
本作には様々な種類の遊びが盛り込まれている。ジャンヌのステージや多くのお題設定された戦闘パートもある。しかし、それらがどうにもバラバラである印象がある。例えば、寄り道タスクの中でも、分解されたパーツを5つ集めるミニゲームはそこら中に配置されているものの、妙に難しくてゲーム進行が一時的にそこで中断される。そこまで楽しくないのに、なぜこんなところで足止めをさせられているのか、そんなことを思うとイライラしてしまうミニゲームだった。正直面倒でしかなかった。(2にも同様のタスクはあったと記憶しているが、そこまでイライラした覚えがない。記憶違いか?)
しかし、こうした遊び心とも言える数々のミニゲームの存在は『1』の時からの伝統だとも言える。スペースハリアー風のシューティングステージなど『1』にも単調にならないように用意されたミニゲームや小タスクはあった。それらは決して出来のいい最高の遊びではなかったかもしれないが、どこか許せる愛嬌があったように思う。どんな悪ふざけをしていても、作品として高いレベルで統合させる力が『1』には確実にあった。だから「そこまで面白くない遊び」でも全然許せた。しかし『3』にはそうした印象を持てなかった。なぜ今その遊びをやらなくてはいけないのか、それを感じ取ることができなかった。数多くの遊びを次々と提示されるものの、そのボリュームにこちらの気持ちが追いつくことができない状態のまま、後半までずっと振り回された印象があり、こちらの気持ちと上手く波長が合うことが少なかった。『1』のアルフヘイムや『2』のムスペルヘイム(お題クリア型タスク)で、ここまで違和感を感じることはなかったため、今作では余計に気になってしまった。
最後に
本作はシリーズ集大成と呼ぶにはオリジナリティのある独特の作品となっている。この記事では不満点ばかりを書き連ねてしまったが、『ベヨネッタ3』は決して悪い作品でない。ただ、求めていたものが得られなかったという不満がある。新しさを追い求める姿勢はとても好ましいと思ったが、「気持ちよさ」というベヨネッタの持っていた有無を言わせぬ魅力を大きく減じてしまった。加えて、ベヨネッタというキャラの持つ固有性、ユニーク性を減じてまで得たものは何だったのか?と思わずにいられない。
私自身、振り返るとベヨネッタの良さは「簡単な操作で派手な戦闘」を実現したことにある。そこまでコンボを華麗に決めなくても、回避とウィッチタイムでなんとなく絵になる戦闘ができてしまう。そういうお手軽な気持ちよさがあった。本作『3』では、こころなしか各ステージ(verse)での評価が厳しくなっているように感じた。より「上手い人のためのアクションゲーム」になっているのかもしれない(クリア自体は難しくないゲームなのだが)。
また、熱い熱いと言われるラストだが、私にとっては『ワンダフル101』(2013)のステージ1のボス戦の方が熱かった(ラスボス戦は更に熱い)。『ベヨネッタ3』はなんとも全般的にチープでダサくて、少し小賢しいゲームに成り下がってしまったと感じている。特に信念も感じられず、ダサいと思ったのが、エッツォの銭形警部パロディとジャンヌのルパン三世エンディングクレジットのようなシーンだ。
これをどういう気持ちで見て欲しいのか、全く分からない。センスがないと言ってしまっては乱暴かもしれないが、ここまでダサいだけの悪ふざけをベヨネッタという作品でされていることには、ほとんど謎かけにあっているような気持ちになる。『1』を作った神谷さんや『2』を作った橋本さんがディレクターとしていかに素晴らしい能力を持っていたかと改めて感じてしまう(開発の実態を知らないので実に勝手な妄想でしかないが)。悪ふざけにこそ、作り手のセンスが匂い立つものなのかもしれない。
ネットでは、大きな魔獣を扱う戦闘やジャンヌのパートがよく批判されているのを見るが、私自身はそこは特に大きな問題だと思っていない(批判者の気持ちも分からなくないが)。そうした挑戦は必要なものだと思うからだ。しかし、本当に気になるのは、そうした挑戦を全体の中でどのように位置付けるかという点へのこだわりと適切さだ。繰り返すが新しいメカニクスや設定を盛り込むことは全く悪くない。それが上手く着地できていないと感じた。前作『2』から8年経ってのリリースであり、かなり苦労したのかもしれないが、わがままな1人のユーザーとしてはあまりに期待外れの作品だったと感じている。