ビデオゲームとイリンクスのほとり

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傑作『ゴーストワイヤー トーキョー』なぜ単調で大きな盛り上がりもないのに、これだけ面白いのか?

2022年3月にPS5やPCでリリースされた『ゴーストワイヤー トーキョー(Ghostwire: Tokyo)』。本作はやや迷うところがあるものの、傑作と言ってしまいたくなるゲームである。家庭用ゲーム機としてはPlayStation5のみでの発売となったため、あまり話題にもならず、他作品の影に埋もれてしまった感がある。私自身、世評で「敵の種類も少なく、戦闘が単調である」という噂を耳にしていたため、「ちょっと変わった世界観のイロモノ的なゲームかな」と見逃してしまっていた。しかし発売後半年ほどでセールで半額になったこともあり、どうしても気になり買ってしまった。プレイしてみて「もっと早くこの作品を遊べば良かった」と少しだけ後悔するほどに、本作は素晴らしい作品だった。セール値段で買ったことに、やや後ろめたさを感じるほどだ。

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溢れすぎないクエスト提示の巧みさ

個人的に本作に感動したことの大きな要素として、サブクエストの提示の巧みさがある。他のオープンワールドゲームの例に漏れず、本作はメインクエストの他に多くのサブクエスト(サイドジョブ)が存在している。この手のゲームで大量のサブクエストがあることについて、私は常にアンビバレントな気持ちを抱く。「遊びにボリューム感があって嬉しいな」という気持ちと「やりがいの薄いタスクを大量にこなすの面倒くさいな」という気持ちの両方だ。特に最近では後者の「面倒くさい」という気持ちの方が強くなってきた。というのも、こうしたサイドクエストというのは建前上「やってもやらなくても自由」という体裁でありながら、実際はキャラの成長(いわゆる経験値)や有用なアイテムの獲得が報酬として用意されており、半ばこなすことが必要なタスクだからだ。それだけではなく、大抵のサブクエストは「誰かが困っている」「助けを請うている」という形式になっているため、それを無視することはプレイヤーに少しだけ罪悪感を感じさせる。その意味でサブクエストというのは、実利的にも倫理的にも、決して「やってもやらなくても自由」なのではない。こうした背景もあり、最近ではサブクエストというのはやや「面倒だな」という気持ちを強く感じてしまうものになっている(これを本稿では「サブクエ圧」と呼ぶとしよう)。全ての人がそうではないだろうが、ゲームのサブクエ圧に、どこかわだかまりを感じている人は少なくないだろう。

その点、本作はクエスト一覧に大量のサブクエストが並び、プレイヤーに強いサブクエ圧を与える作品ではない。というのも、本作ではサブクエストを完了することで、徐々に新しいサブクエストの起点が1つ1つ地図上に増えていくという仕組みになっているからだ。どこかに依頼掲示板のようなものがあり、そこで一括して大量のクエストを受注するのではなく、テキトーに歩いて街の人と話しているだけで自然とクエストが溜まっていくのでもない。もちろん一切のサブクエストをやらずに、ひたすらメインストーリーだけを進めると大量のサブクエストが溜まることはあり得るが、基本的には3つくらいのサブクエストが常に溜まっている状態がずっと続く。しかし10個も20個もクエストが溜まっている状態にはなりにくい。つまり、サブクエ圧がそこまで強くならない作品なのだ。もちろん全てのサブクエストをこなさないと気が済まない性格の人にはどっちみち同じことかもしれないが、こちらの覚悟を無視して、大量のタスクをどんどん追加してくるようなことはしない。ほどほどにサブクエストと付き合っていけるところが非常に「こちらのペースを大事にしてくれる」感じがある。

絶妙に違いを生み出すサブクエストの数々

サブクエストを面倒に感じる理由として、サブクエストごとにあまり違いがなかったり、淡白な作業を求めるケースが多いことが挙げられるだろう。やりがいが薄いタスクを繰り返しこなすことには、やや苦痛が伴う。

本作のサブクエストはそうした従来のサブクエストの問題点を完全に解決しているわけではなく、「やたら追跡するタイプのサブクエが多いな」と感じたりもする。しかし、細かく見ていくと、個々のサブクエストにはちゃんとそれぞれのクエストごとに差異があり、何をやらせたいのかが微妙に違うことに気がつく。まずは、渋谷という都会の中心地でありながら、サブクエの舞台となる場所が思ったよりも多様である点が挙げられるだろう。オフィスビルだったり、日本家屋だったり、病院だったり、マンションだったりと、バリエーションがある。一戸建て住宅とマンションとではその間取りに違いがあり、それぞれの内装の違いもハッキリと分かる。また、同じ一戸建て住宅が舞台になるサブクエストであっても、一方のサブクエストでは、いわゆるゴミ屋敷のような家を探索させたりと、違いを生み出す工夫がされている。ゴミ屋敷というモチーフも日本の現代社会をある側面から見透かすようなところがあり、そんな観点からの面白味もある。

また、先程少し言及した大量の「追跡するタイプのミッション」についてだが、妖怪や幽霊を追いかけるという点では確かにどれも同じである。しかし、以下のようにちゃんとバリエーションを持たせている。

  • ステルスで追跡する(唐傘小僧)
  • 地上で追跡する(かまいたち
  • ビルの屋上をピョンピョン跳びながら追跡する(一反木綿)
  • 地上とビルの高低差を意識しながら追跡する(ろくろ首)
  • 狭い閉鎖空間で追跡する(座敷童子

その差異は大きいものではないため、「追跡するタイプの多くない?」という印象は持つだろう。それでもプレイヤーをできる限り飽きさせないように細かくても差異を作ろうとする配慮には大きな好感を抱く。本作に感じるのは、(想像するに)困難な制作現場において、腐ることなく、なんとかより良いものを作ろうとした、その生真面目さだ。ここに誠実さを感じる。

短めの会話で終わる相棒との掛け合い

本作はいわゆるバディものの物語である。KKという名の相棒と二人三脚で物語を進めていく。お話自体に大きな仕掛けがあるわけではないし、感情的に強く揺さぶられる物語ではない。ゲーム進行をそれとなく動機づけるゲームらしい淡白な物語だと言えるだろう。しかし主人公と相棒のKKとの間で育まれる友情にはとても感じ入るところがある。本作の良さは「あまり語らない」ところにある。唯一、敵の般若がやや饒舌であるが、主人公もKKもあまり偉そうなことを長々と言ったりしない。主人公は妹の奪還、KKは敵のリーダーである般若を倒すこと、その目的に忠実である。二人の関係には、ドライなところがありつつ、しかし段々と仲良くなっていく過程が、わずかなやり取りや言葉から感じられるようになっている。お互いを大切に思って叫び出すような、そういう白々しさがない点は本作の美点だろう。主人公の過去もKKの過去も、あまり語られないのは制作都合上の至らなさなのかもしれないが、この舌足らずな感じが、この物語を少しだけ高級な雰囲気にしているところもある。言葉が少ないからこそ表現できる、絵作りがモノを言う作品であると思う。

東京での日常生活表現の迫真性

東京を舞台にした作品というと有名どころでは『龍が如く』シリーズや『ペルソナ』シリーズなどが思い浮かぶ。しかし、それらの作品と比較しても『ゴーストワイヤー  トーキョー』は圧倒的に「暮らす街としての東京」が感じられる。特にアイテムがコンビニの袋に入っている点は、本当に素晴らしい*1コンビニのビニール袋が東京での生活の象徴として機能していることを、ここまで見事に表現した作品はないのではないか

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また敵の造形も素晴らしい。傘を持ったサラリーマン風の男性や事務服に身を包んだ女性など、私たちが知っている日常がそのまま異世界の存在となっている。セーラー服に身を包んだ女子高生が出てくるゲームは無数にあるが、本作では敵キャラとして頭(顔)のないセーラー服だけの姿となっていることで、制服の持つ現代日本のフェティッシュな欲望とそれを受ける女子高生の見られる対象としての異常さがさりげなく表現されている。

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とはいえ説教臭くなることもなく、コア引き抜きという分かりやすい快感を味あわせてくれるところなどは、サービス精神も持ち合わせている作品であることが分かる。

本作は異様な世界観でありながら、実は最も日本で暮らし生活することの実感を表現できたゲームであるだろう。

同じことの繰り返しなのに成長を感じさせる戦闘

本作の戦闘には多くの批判がある。確かに、風、水、火のエレメントを手から放出するという3種類の武器だけでほぼ全編が進行していき、主人公が操れる武器は少ない印象がある。何より、そこまで難しいゲームではないため、ノーマルでプレイしていると余計に淡々とした作業感を感じるだろう。ただ、基本武器は少ないものの、実はその運用方法にはクセがあり、じっくりと学べるような面白みがちゃんとある。まず、どの敵にどのタイプの武器が有効かは次第に理解できるところだ。そうした点に加えて、敵がどういう動きをしたら、何の武器を使うのが有効なのか、長押しでのチャージショットはどのタイミングで使えば良いのか、そしてジャストガードなど、地味ながら上手くなれる要素がいくつか散りばめられている。唯一、弓矢という武器だけはややその存在感の薄さが気になったが、少ない武器パターンの中で、ゲームスキル向上の面白さをかなり頑張って満たしている。これはクエストのバリエーションの少なさについて先に書いたことと関連するが、開発初期の構想ではもっとやれることは多様だったのではないかと想像させる。しかしゲーム制作の過程で仕方がなく削り取った部分も多いのだろう。しかしそこで諦めて投げやりになるのではなく、少ない手駒を最大限に活用してプレイヤーを楽しませたいという努力の痕跡を随所に感じる。戦闘システムについても同様である。ただ、比較的簡単なゲームなので、そこまでプレイヤースキルを向上させる必要もなく、単調な戦闘を繰り返して回復アイテムをガブ飲みしてエンディングまで到達できてしまったプレイヤーも多いだろう。その点については本作の瑕疵と言えなくはないが、やりがいを感じられる余地がある点において決して不出来なゲームではないと私は感じる。

おわりに

本作は不遇の傑作であると感じている。多くの人が長所として挙げる通り、東京、渋谷という街並みを表現するビジュアルの秀逸さは議論の余地はない素晴らしさだ。

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しかし、その街並みを気持ちよく遊びながら駆け回ることを可能にしたのは、本作のゲームメカニクスへのたゆまぬ研鑽の結果ではないかと思う。決して欠点がないわけではない。単調だというのもその通りだろう。しかし、同じようなことを繰り返させるとしても、これだけ素晴らしい体験にまで洗練させることが可能だということにおいて、本作はとても饒舌な作品でもあると思うのだ。

陰陽師のように印を結ぶ手の動きの厨二病的な面白さと、リアルで生活感の感じられる東京の街並みと、どこか日常と地続きの敵キャラたちと、それを支える生真面目なゲームメカニクス。どれかが一つ欠けたら、この作品はここまでの品質にならなかっただろう。本作にはそういう「これが欠けたら、ここまで好きになってなかった」という掛け替えのない美点と危うげとも思えるバランス感覚がある。ダメ男と付き合っていて「でも、この人には私しかいないし、この人の良いところを分かってあげられるのは私だけなの」と思わせてくれるような、そういう共依存的な愛着を本作には感じる*2。ゲームに限らず、あらゆる趣味の世界において、そういう「ダメなのに好き」と思わせてくれる作品があることは、何かのジャンルに夢中になったことがある人なら誰でも思い当たるところがあるだろう。本作にはそういう「人たらし」のような魅力がある。しかしそうした愛着もまた、数々の気の利いたメカニクスの存在によって支えられており、決して理由のない盲目的な愛ではないことも同時に教えてくれる。とても複雑な魅力を持った傑作であると思う。

*1:また、このビニール袋は、アイテムを入手した時にアイテム上限に簡単には達さないようにする工夫も込められているように思う。同じ種類のアイテムは保持できる上限数が決まっているが、コンビニの袋に入っているアイテムは入手した時に中身が決まるようになっているように思われる。だから入手した時点で上限数いっぱいまで持っていないアイテムが自動的に手に入るようになっており、上限数いっぱいで取得できないストレスを軽減しているように思われる。こうした細かい配慮が嬉しい。一方で、「冥〜」が付くやや強力なアイテム(冥緑茶や冥三色団子など)はビニール袋に入っておらず、通常アイテムより上限数制限に引っかかりやすくなっている。こんなところもメリハリがあって良いと感じた。

*2:ダメなんだけど良いと思える具体的な箇所として、天狗呼び出しのスキルがあるだろう。最初、どうやって使ったらいいのか全然分からないのだが、使い方が分かると圧倒的に楽しくて必須のスキルになる。この説明不足な点は決して褒められる部分ではないのだが、この説明不足で突き放したようなところが本作の魅力でもあるように感じられる。