ニンテンドースイッチで2019年の7月19日に発売された『マーベル アルティメット アライアンス 3(Marvel Ultimate Alliance 3)』は素晴らしい作品だ。確かにマーベル作品をある程度知っていることが、この作品を楽しむ前提になるところはあるだろう。しかしわたし自身はそれほど原作のマーベル作品を知らないし、マーベル映画を好きでもない。そんな自分にとって、この『マーベル アルティメット アライアンス 3(以下MUA3)』がとてもステキな作品であったことが意外でもあり、嬉しいことでもあったので、それを伝えたいと思う。
本作MUA3は、かつて2006年に発売されたゲームの3作目に当たる。しかしそうした過去のゲームとの繋がりはあまり気にしなくても良いように思う。どちらかと言えばマーベル映画(特に最近のMCU作品)に馴染みがある方が、本作を楽しめるだろう。
ただ、わたしはMCU作品を7割程度は見ているが、マーベル映画を知っているというには中途半端な知識しかない。その上、特にルッソ兄弟の映画が好きではない。逆に好きなMCU作品は『ガーディアンズ オブ ザ ギャラクシー』と『キャプテン アメリカ : ファースト アベンジャー』。ルッソ監督作品に見られる「悩める人間としてのヒーロー」という描き方が、そのテーマを描くには底が浅いと普段から思っている。
MUA3は、そんなわたしだからこそ、素晴らしいと感じられる作品だったように思う。
無双ではない
本作は発売される前から「マーベル無双」とネット上では呼ばれていた。確かに開発はTeam Ninja であるためコーエーテクモの存在を想起させるし*1、PVでも多くのコピペ的な敵キャラをなぎ倒す作品に見えたため、そのような呼ばれ方をされたのだろう。しかし実際にプレイした感覚としてはかなり無双シリーズと異なる*2。まず第一に、敵の数は無双より全然少ない。一対多の戦いになる点では無双と同じだが、無双より敵は攻撃に積極的で、自キャラへのダメージは重い。総じて一対一の戦いの感覚に近く、敵の動きを見ながらこちらのコンボ攻撃をどこで止めるか、そしていつ回避行動を挟むかを考える必要がある。ただ『ニンジャガイデン』シリーズほどシビアさと工夫と複雑な操作が必要なわけではない。かなりそこはカジュアルである。
一見大味だが工夫しがいのある戦闘
では、MUA3の戦闘は面白いのだろうか。まだストーリーモードをノーマル難易度(MIGHTY)でクリアした程度だが、意外にもまだ工夫のしどころを新たに気がつくことがあり、思ったよりも単純ではないという印象である。戦闘は工夫の仕方が分かってくると非常に楽しい。本作にはレベル制が取り入れられているため、最終的にはレベルを上げてしまえば全て解決できてしまうという面がなくはないが、レベルが推奨値より低くてもスキル次第でなんとかクリアできる局面が多々ある。逆に、推奨レベルを満たしていても、ある程度のスキルと戦術を理解していないと全くクリアできないケースは多い。中でもINFINITYモードという特殊な条件下でお題を達成するモードでは、必殺技やシナジーと呼ばれる連携技の使い方を理解できていないとクリアは難しい。この戦闘システムを奥深いと言っていいかは若干悩むが、それでもただパンチを連打するだけのゲームではないことは確かである。海外レビューでも無双に言及するよりもMMORPGなどに似ているとの指摘が多い。これはオーバートップな画面視点もさることながら、スキル技をどのタイミングで出すか、どの順番で出すかがキモになってくるところも指しているように思う。実際、技の出すべきタイミングまで敵の攻撃をなんとか捌ききり、その後に大技を適切な順番で出して大ダメージを与えるというサイクルにはなかなかの快感がある。
ムービーパートが素晴らしい
MUA3のストーリーは単純で、悪い奴を良い奴が倒すという話でしかない。アメコミにありがちな悪い奴が仲間になる流れも特にヒネリも説明もなく、いきなり仲間になるパターンが多い。これを子供っぽいと表現することもできるが、むしろ、わたしは作品のこのやり方がなかなか「分かってるな」という印象を受けた。ムービーパートはほとんど『スマブラ』の参戦ムービーの連続のようでもあり、実に美味しい部分を凝縮した見応えのあるものになっている。このムービーパートの見応えは、結構歯応えのあるゲームパートとセットとなることで、良い感じにデザートのような役割を果たしている。また脚本について言うと、例えばロキの支離滅裂な行動を「なんなんだ?」とツッコミを入れるなど、妙に冷静な面もあったりするが、とにかくストーリーの理屈や構造をほとんど説明しない。この点については、最近のMCU映画作品群の「説明や理由づけや伏線回収しよう」という姿勢に対するアンチテーゼではないかという穿った見方をしたくなる。とにかく特殊な能力を持ってるから特殊なのだ、悪い奴だから悪いのだ、破壊したいから破壊するのだ、みんなを守るから守るのだ、というトートロジーしかMUA3は語らない。多種多様な奇妙な格好をしたスーパーヒーローたちが一堂に会して正義をなすという意味不明さを意味不明なまま表現するという潔さがこの作品にはある。くだくだと説明することのある種の「バカっぽさから逃げる卑怯さ」を告発しているようでもあり、コミック作品が本来持っていた粗野と粋があると感じた。
総じての評価
本作はメタスコアで73点(2019.7.27現在)という微妙な評価がされている。しかしわたしとしては85点くらいはあげていい作品だと感じている。40人近い登場キャラクターをある程度キャラ分けし、また戦闘での役割も違いを付けつつ、ここまでまとめきっているところなど、仕事としての完成度は非常に高い。ステージの構成やスタイルはいかにも古臭さはあるものの、ステージやボス戦ごとにギミックをちゃんと施して違いを出そうとしている点は意外に丁寧な作りである。成長要素などは凡庸でありつつも分かりやすくちゃんと機能している。唯一、(まだ十分にやってないが)ハクスラ的要素には浅さを感じる。なかなかアメコミの各キャラの濃さに合わせて作り込むことは難しかったのかもしれない。とは言え、ISO-8(鉱石)を集めるだけではさすがにハクスラとしてのモチベーションを保つのは難しいと思う。
本作はアメコミ原作準拠という「言い訳」によって、良い意味で「保守反動性」みたいなものをエンタメに綺麗に昇華できている。例えばサイロック(日本の女忍者の体を持つキャラ)の分かりやすいセクシーさは際立っていて、ここまで素朴なセクシーさを描くことは最近のディズニーではできないだろうと思われる*3。そのこと自体は別にわたしとしては良いと思うのだが、ゲームという媒体の社会的地位というか文化的地位が、原作が持っていたであろう粗野さを復活させる下地として機能しているようにも見えて、そこは面白い。一方で、サイロックのような素朴で保守的なセクシーさが大量に溢れてしまうような、半ば露悪的なノリがなく、本作には適切な「節度」の意識が感じられる。とにかくやりすぎない「ちょうど良い感じ」が、本作の達成であり、魅力である。古臭いアクションゲームだと、ただ捨て置くには惜しい、粗野な魅力と節度と意外に遊べるゲームシステムを兼ね備えた良作であると思う。