ビデオゲームとイリンクスのほとり

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映画などの感想についてはこちら『映画と映像とテキストと』で書いています。

 

 

『十三機兵防衛圏』必然性の物足りなさとその革新性

2019年。ヴァニラウェア制作。主人公が13人もいるアドベンチャーゲームと聞いては、その手の群像劇的なゲームが大好きな自分としてはプレイしないわけにはいかなかった。クリアして、アーカイブを読み倒す楽しさを十分に堪能したので、元は取ったなと思う。しかし、個人的には期待したほどの面白さではなかったというのが正直なところだ。絶賛が多い中、あまり楽しめなかったという人もいると思うので、そういう人のためにもこの記事を書こうと思う。なお戦闘パート(崩壊編)については特に本稿では言及していない。主題はアドベンチャーパート(追想編)である。また、単に楽しめなかった点を挙げるだけではなく、本作の持つ革新性についても併せて書きたい。なお、本記事はネタバレ有りである。

 

多くの登場人物がいて、その全員が一つの大きな物語へと収斂していくタイプのアドベンチャーゲームの中で個人的に最高傑作だと思っているのは『428』と『ゴーストトリック』だ。この2本の傑作と比較してしまうと、『十三機兵防衛圏』はどうしても見劣りしてしまう。それでは、私自身がどういうところが好きで『428』等が好きなのか、まずはそれを考えてみると、以下の2点をとても高く評価しているのだと思う。

  1. それぞれの登場人物の役割や出来事が全体の絵図の中でピッタリとピースにハマる快感を得られるか
  2. 最後、クリアした時に浮かび上がるストーリーの全体像が美しいか

『十三機兵防衛圏』はこの2点において、不満である。

 

必然性の気持ち良さ

『428』や『ゴーストトリック』には、様々な人物が登場するが、彼らの意図や役割が物語が進むにつれて段々と分かってくる。そして大きくて壮大な事件の中で細かな登場人物に至るまで、それぞれの役割が、素晴らしいタイミングで印象的に提示される*1。これは「サプライズである」という意味においてプレイヤーを楽しませることはもちろんながら、単にそれだけではなく、ある一つの概念をプレイヤーに強く印象付ける。それは必然性という概念である。あらゆる人物や出来事は最初から仕組まれていたかのような、そこにあるべくしてあるという感覚。これは、パズルのピースがハマるような気持ち良さであるとともに、クリア後に物語の全体像をプレイヤーが思い返した時に、その全体像が精巧で精緻な工芸品を見るように感じられる喜びにも繋がる。このような喜びを『十三機兵防衛圏』はあまり感じさせてくれなかった。どちらかと言えば『オーディンスフィア*2』の方がよりその点においては優れていたように思うほどだ。

 

物語の細部が単なる細かな事実の積み重ねでしかない

『十三機兵防衛圏』は複雑なプロットを最後までなんとかまとめあげている点については驚くべき作品である。ここまで複雑な物語をよく表現し切ったなと感動する。しかし、おそらく多くの人はこの物語の細部をうまく理解できないのではないかと思う。例えば次のような点を明確に理解できているだろうか。

・遺伝情報を残す対象とした15人のうち、13人がプレイアブルキャラクターだが、残りの2人は誰か。またその2人は今回(今回のループ)、どうなったのか?

・リセット越えを行った直後の森村が初めて会ったのは誰か(今周、一周前でそれぞれ誰か)。

・BJの中にいるミウラは誰で、なぜ17番機兵を探していたか。

・井田鉄也の目的は何で、どのような点において森村(先生)の目的と異なっているのか。

さて、上記はすべて物語内で明確に語られている事柄であるが、これらを十分に理解できている人はクリア直後だと少なく、なんとなく判るのだけど明確に言えないという人も多いだろう。もちろんこれらをアーカイブを読みながら補完する事も本作の楽しみ方であろうが、そこで得られるのもまた結局、細かな事実の積み重ねでしかない。理解するのが意外に難しい割には、そうした細かな事実は単発の事実ばかりであり、理解する難しさに見合った面白さを持っていない。細かな事実が伏線回収的な快をそれほどもたらさない。ただ「あー、そうなんだ…」と感じるばかりである。上記に例示した点も、物語のプロットを知る上では重要な事実のはずなのに、結局知っていても知っていなくても物語を味わう上であまり違いがないという所に、本作の短所が現れているのではないかと思う。

 

なお細部を含め、重要な事実を抑えるのには以下のブログ記事が非常に参考になる。素晴らしい整理をした記事なのでクリア後のプレイヤーは是非一度、目を通してほしい。

十三機兵防衛圏ネタバレ考察 | INFORNOGRAPHY

 

意外な事実の提示があまりにもアッサリしている

本作の細部を細かく知っていく事にあまり気持ち良さがない、ということを前節では示したが、本作では大きなトリック部分の提示の仕方にも残念さがある。本作では、大きな「意外な事実」の提示を少なくとも5,6回は行なっており、想定していた世界の真実が何度も更新される。しかし、その提示のされ方があまりにもアッサリしており、ほとんどの場合、せっかく「意外な事実」を提示しても、プレイヤーをやや置いてけぼりにしたままに語っている場面が多い。

 

例えば、タイムリープではなく、空間移動だったんだと判る展開はこのゲームの中でも重要なポイントである。しかし、この事実によってこれまで不思議だった別の事実がパタパタと回収されていくような演出にはそれほどなっていない。ただ「そうなんだ」と理解するばかりである。「時間移動よりも空間移動の方が実現性が高いかも」というプレイヤーの科学的リテラシーを僅かに満足させることと、セクターという呼ばれ方をしている理由が理解できる程度の面白味しかない。せっかくのサプライズにも関わらず、世界観に対する理解の更新があまり広がらないのである*3。そして終盤、結局全ては仮想現実なんだと判る展開も同様である。ただ事実が提示されるばかりで、それによって何か多くの事実が改めて納得されるとか、意外であるとも特に感じられない。むしろ、仮想現実内であるなら「空間の瞬間移動」であることの面白味はほとんど失われてしまう。複数の「意外な事実」同士の関係が、あまりにも「疎」の関係にあり、意外性がただ積み重ねられているだけという印象が強い。わたしが個人的に求める必然性の面白さは、事実の「密」な関係にある。せっかくの面白い設定が、本作ではあまり煮詰められることなく単純に混在させられていると感じた。

 

アンチ「ループもの」としての面白さ

では、本作はつまらない作品なのかといえば決してそんなことはない。素晴らしい作品であり、こんなに作り手の労苦が手触りとして感じられる作品はしばらく出ないだろうと思われる。加えて、本作の面白さは、個人的に不満を持った必然性の無さと表裏一体であると考えている。それがアンチ「ループもの」としての面白さである。

 

本作には「ループもの」の物語の場合、自然と受け入れてしまっている展開を、あえて覆している部分が多い。例えば、何度もタイムリープを繰り返して前回の記憶を活用して状況を打破するというモチーフが本作では影を潜めている。特に二周前からリセット越えをしてきた和泉の描き方が顕著である。彼は唯一の二回ループをしている者であり、それゆえ世界の真実に早い段階で気付いているわけだが、彼のやっていることはかなり行き当たりばったりである。DD426を作って世界を守ろうとして、逆にそれでみんながピンチに陥ったり、主人公たちを全員殺そうとしたり、逆に守ったりしている。かなり試行錯誤の道半ばであるのが和泉である。『オールユーニードイズキル』や『シュタインズゲート』でも試行錯誤の段階はあるにはあるが、あくまでそれは途中経過である。結末を描くにあたり、何度もループを繰り返して超越的な存在になることでループを打破するというキャラクターに、和泉をあえてしていない*4。なんなら、最後の最後で失敗してしまうかもしれないキャラクターとして描かれている。因幡深雪や森村(園児)に対しては、そうした超越的な存在であることを多くのプレイヤーは期待したかもしれないが、彼らもまた偶然にそうしたポジションにいただけの存在であり、決して絶対的な存在者ではない。13人という多数の思惑が偶然に交錯した結果そうなったのだという、正に物語内の「箱船計画」を思わせる語り方になっている。「箱船計画」はアポロ計画のような絶対に失敗できない一回をこなすための計画ではなく、大量に繁殖することで、いつか成功させるという計画である。この「偶然に掛ける」というスタンスが、「箱船計画」という設定の全体像と、本作のメインストーリーとで、フラクタルのように同じ構造になっている。奇跡が1人の絶対者によるものでなく、多数の人間の偶然の産物として、しかしドラマチックに描かれている点がこれまでの「ループもの」とは一線を画していると言える。

 

加えて、象徴的なのが、登場人物たちのカップリングである。環境が変われば、別の人を好きになる。この描き方はこれまでループものが持っていた「運命の赤い糸」的価値観のアンチテーゼに感じられる。『シュタインズゲート』のリーディングシュタイナーなどは、そうした「運命の赤い糸」価値観を支える象徴的な仕組みだろう。たとえ世界線が変わっても愛する人は同じ人というのはもちろんロマンがある。しかし、本作ではそうしたロマンをアッサリと放棄している。そして「環境が変われば、別の人を好きになる」という、言われてみれば当たり前すぎるリアリズムに一周回って気付かせてくれる。これは「ループもの」に慣れたプレイヤーであればあるほどに感じる面白さでもある。

 

偶然の物語としての革新性

『十三機兵防衛圏』という作品には、必然性の気持ちよさがないという点において、わたしは不満を感じたが、一方で、必然性ではなく全ては偶然とともにあるという物語を描いた点が素晴らしいと考える。これまでの多くのカタルシスのある物語というのは、得てして必然性の気持ちよさによって支えられている。本作にはそうしたカタルシスはあまりない。それでも、複雑なプロットが一つの作品としてまとまっていることへの感嘆が、ネット等で本作への評価として度々語られてしまっている。確かにそうした評価をされることは当然だと思うが、実は(言い方が難しいが)逆ではないかと思うのだ。本作は、そうしたまとまりが本当にそうであるべき、という必然性に支えられているわけではない。ただ偶然そうであった大量の事実が疎結合のままに悪魔合体していることに本作に固有の魅力があると私は考える*5

 

たった1人の天才的な設計者によって精密に作られた世界とは違う、複数の思惑が、偶然のいたずらによってたまたま好ましい結果を導いた。そういう設計者たる神のいない世界の物語を描いたことが、『十三機兵防衛圏』の「人」の物語としての革新性である。最後の戦闘パートが英雄的な敵戦力の殲滅という勝利によって彩られるのではなく、ひたすら全員で地道に防衛し続けるという演出になっていることもまた、その思想を力強く裏打ちしているように感じられる。『428』も『ゴーストトリック』も多数の人物の物語でありながら、最終的には1つの中心点から照射される物語として描かれている。しかし本作は、バラバラなものをバラバラのままに描き、中心点を持たないことを貫き通しており、そこがかえってドラマチックであるという点が素晴らしいのではないだろうか*6

 

*1:例えば『ゴーストトリック』であれば、主人公シセルの正体提示はもちろんながら、レストランの店員という脇役でさえ、実は潜入捜査官であったというような細部での作り込みがある。また『428』でも単なる賑やかし要員でしかないと思われていた着ぐるみの登場人物が最重要キャラとして終盤に印象的に明かされる

*2:2007年にPS2で発売された。本作『十三機兵防衛圏』を開発したバニラウェア制作のアクションRPG。6人の主人公のドラマが絡み合うストーリー。私自身はPS4版である『オーディンスフィア レイヴスラシル』をプレイした。PS4版はPS2版よりも遊びやすく調整されているリマスター作品。

*3:例えば、鞍部家の柱のキズの謎とか、1945年に世界が崩壊しているのに、なぜ1985年が無事なのかと言った事実をもっと強調できていれば、より「時間移動ではなく空間移動」の設定の意外性が生きるはずなのに、「平行世界かも」というような概念まで丁寧に言及するため、プレイヤーの思い込みが発散してしまい、意外性を抑制してしまっているように思われる。

*4:和泉が必死に魔法銃で主人公たちを撃たせているのも、絶対的な力を身につけさせるのではなく、成長要素をアンロックするという可能性に掛けた行為であることも象徴的である。

*5:以下の記事で、「闇鍋」と表現されている点はまさに同感である。『十三機兵防衛圏』が狂気的に傑作すぎたので、思ったことをちょっと書く

*6:バラバラという意味では、本作は『街』に似ているとも思う。近い作品として言われがちな『街』と『428』の大きな違いもこの点にあると考える。