ビデオゲームとイリンクスのほとり

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映画などの感想についてはこちら『映画と映像とテキストと』で書いています。

 

 

『ザ・スーパーマリオBros. ムービー』に涙した人は、歴史的傑作『スーパーマリオ オデッセイ』をプレイしよう

2023年4月。『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が公開された。ネットの感想を見ていると時折「泣いてしまった」「涙が出てきた」という感想を見る。分かる。別に全然泣けるような映画ではないんだけど、そうなる。それは主に「ノスタルジー」というやつなんだけど、それだけではない。作品がスタートする前にSwitchでゲームを遊ぶ子供たちを描いたCMが流れる。ミスをして悔しがる姿から始まり、その後にクリアできた!と喜ぶさまざまな子供達を描くCMだ。単に任天堂の広告としてだけでなく、これから描かれる映画作品のテーマを端的に示したCMでもある。そのCMの最後、小学生ぐらいの子供が「できたよ」と静かに喜ぶ。それまで「やったー!」とか歓声を上げていた子供たちとは異なり、とても静かにクリアできたことを喜び、そして手で持ったニンテンドースイッチをこちらに見せようとしてくる。ビデオゲームの喜びとはこれなのだ。たった1人で遊び、たった1人で喜ぶ。もちろん友人たちと遊んでいる時なら興奮の声をあげる時もあるだろう。しかし基本的にはとても静かで、個人的な体験なのだ。あのCMが素晴らしいのは、この「個人的な闘いでしかない」ということのどうしようもないほどのノスタルジーなのだ。

そして『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』が素晴らしかったのは、この「個人的であること」をちゃんと示しているところだ。マリオは作中で父親から言われる。「何がしたいのか分からない」と。重要なのは、この親の理解のなさではない。親が自分たちが何をしたいのかよくわからないということをマリオ自身もよく分かっており、しかし、そのやりたいことを堂々と説得力を持って他者に語ることの難しさがあること。これこそがゲームに夢中になったかつての子供たちが抱えていたささやかな難問なのだ。夕食や風呂に呼ばれてもゲームを続けたいと思ったあの頃。大人になれば、ゲームをすることなんかより、食事に呼ばれたらすぐに食卓に来るべきだし、風呂が沸いたのならすぐ入るべきだと分かる。なぜならその背後には、食事を用意して作ってくれる親たちの姿があり、風呂を洗って準備してくれる人たちがいるからだ。しかしそれでもプレイを続けたかったゲーム。それはあくまで個人的なものだ。しかし、それでもかけがえのない何かを宿していた気がする。今回のマリオ映画が描けたものはそれなのだろう。個人的な体験から、少しだけ普遍的な何かに昇華させてくれたという嬉しさ。

そして実はその喜びを6年も前に実現したゲームがある。それが2017年にマリオシリーズのフラッグシップタイトルとして発売された『スーパーマリオ オデッセイ』(以下、オデッセイ)。同じ年に『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド』という歴史的な傑作がリリースされたことで、『オデッセイ』はその影に埋もれてしまった印象がある。もし異なる年に生まれていたら、『オデッセイ』はその年のGame of the Yearをいくつも獲得していただろう。そのくらい『オデッセイ』は素晴らしいタイトルだ。

『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』に涙した人は、ぜひ『スーパーマリオ オデッセイ』をプレイして欲しい。ラストステージで流す涙は、映画のそれと同種のものである。そして『スーパーマリオ オデッセイ』に涙した人は、ぜひ『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を見に行って欲しい。あの感動と同じものをもう一度味わうことができる。

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映画に対する感想は以下のblogに書きました。

『ザ・スーパー マリオブラザーズ・ムービー』を観た - 映画と映像とテクストと